“ノーヒッター継投の主役”則本 5回完全「人生最高の投球」

[ 2014年11月16日 05:30 ]

<侍ジャパン・大リーグ選抜>初回2死、ロンゴリアから三振を奪う則本

日米野球第3戦 侍ジャパン4―0大リーグ選抜

(11月15日 東京D)
 侍ジャパンが、大リーグ選抜に楽天・則本昂大投手(23)ら4投手の継投で無安打無得点試合を達成した。日米野球で全日本を含めた日本代表がノーヒットノーランを記録するのは初めて。先発した則本は5回を完全投球。自己最速の155キロをマークし6三振を奪った。2番手のオリックス・西勇輝投手(24)ら救援3投手も無安打リレーし、歴史的快挙を成し遂げた。侍ジャパンは大リーグ選抜に3連勝。2試合を残し、90年以来24年ぶり2度目の勝ち越しを決めた。

 気迫でメジャーリーガーをのみ込んだ。シーズンと変わらない鋭い腕の振り。先陣を切った則本は5回を投げ、一人の走者も許さなかった。侍投手陣のノーヒットノーランリレーをけん引。お立ち台では、マウンドでの鬼気迫る表情から屈託のない笑顔に変わった。

 「出来過ぎというか本当によかった。人生最高のピッチングができたと思う。この舞台でいい投球ができて最高」

 三振ラッシュのスタートは初回1死のカノからだった。2ストライクから膝元へのフォークで空振り三振。続くロンゴリアは力勝負の高めの153キロ直球で空振りを奪った。2回、第2戦で金子から2ランを放ったモーノーからはカットボールで空振り三振を奪い、3者連続三振。続く23歳で同い年のプイグには初球、自己最速の155キロをマークした。「対戦相手がプイグだったので真っすぐでいってやろうと思ったら出た。真っすぐで空振りも取れたし、変化球も思い通り投げられた」。4回まで毎回の6奪三振。打者15人に対して外野へ飛んだ打球は3つだけ。人生初の日本代表のマウンドで躍動した。

 3連勝で24年ぶりの勝ち越しを決めた小久保監督はこう言った。「一番は準備期間の気持ちや取り組み。このシリーズに合わせてきてくれたということ」。投手陣には代表発表時にメジャー球を支給。則本は楽天の秋季練習からメジャー球で何度もブルペン入りした。王座奪還を目指す17年WBCへのスタートと位置付けた日米野球で、史上初の無安打無得点試合を達成。指揮官は「何と言っても、則本はあっぱれだった」とうなった。

 1年目の昨季は15勝を挙げて球団初の日本一に貢献し、新人王を獲得。田中がヤンキースに移籍した今季も14勝を挙げ、最多奪三振のタイトルを獲得した。10月に仙台を訪れた田中と久々に再会。嶋らと一緒にゴルフを楽しみ、風格を増した先輩の姿に刺激を受けた。お立ち台では西から「メジャー、行けんちゃう?」と冷やかされたが「まだ2年しかやっていない。まだ下っ端だと思うし、実績も残してからだと思う」と謙遜した。

 日米野球が初開催された1934年。沢村栄治がベーブ・ルースらを擁する全米相手に8回1失点9奪三振という伝説の快投を演じた。則本の背番号はくしくも沢村と同じ14。「自分の球がどれだけ通用するか見てみたかった。自信になった」。80年の時を経て、背番号14がメジャーリーガーの前に立ちはだかった。

 ≪これまで日本チーム最少被安打は1≫日本が4投手の継投でノーヒットノーランを達成した。これまで日米野球で日本チームの最少被安打は00年11月9日に全日本が全米戦で記録した1安打。無安打無得点に抑えたのは史上初めてだ。先発の則本は5回をパーフェクト。前記00年11月9日は先発の高橋尚(巨)が5回無安打で降板したが与四球が1。過去、日米野球で先発し4回をパーフェクトは60年ジャイアンツ第5戦若生(大毎)、06年全米第3戦小林宏(ロ)、同第5戦和田(ソ)といたが、いずれも5回に失点。5回を無走者に切り抜けたのは則本が初めてになる。なお、戦後来日の大リーグチームでは71年11月2日にオリオールズのドブソンが巨人戦、90年11月11日に全米のフィンリー、ジョンソンが継投で日本相手にノーヒットノーランを達成している。

続きを表示

この記事のフォト

2014年11月16日のニュース