巨人の4番に受け継がれる 松井氏の「逃げ道つくらない」美学

[ 2013年1月15日 13:26 ]

02年11月23日、巨人ファンフェスタでチームメートから胴上げで送り出される松井

 自然と拍手が湧き起こった。「頑張れよ!」「日本で見てるからな!」。次々と激励の声が上がる。02年11月23日、東京ドームで行われた巨人のファンフェスタ。ベンチ裏のロッカーで、当時打撃コーチだった吉村禎章氏は他のナインらとともに、米国へはばたく松井に熱いエールを送った。

 「全員が“頑張れ”と同じ気持ちだった。その人柄が、それだけみんなに愛されていたんだよね。チームが一つになって送り出した。一番印象に残っている」。選手だけでなくコーチ、裏方ら全員が集まった。原監督が「まだまだ続く松井の夢を応援しよう!みんなで拍手で送り出そう!」と音頭を取った。その日が松井にとって、最後の巨人のユニホーム姿。グラウンドでは胴上げも行われた。誰もが、新天地での活躍を祈っていた。

 その衝撃は、今でも吉村氏の脳裏に刻み込まれている。松井の入団1年目、93年の宮崎での春季キャンプ。18歳のルーキーの打球は、軽々と球場の右翼フェンスを越えていった。「あの球場は甲子園の浜風と一緒で、左打者にとっては不利な逆風が吹いている。そんな中でどんどん放り込んでいた。凄い飛距離だな、と思ったよ」。右翼スタンドの裏手にはテニスコートや公園があった。あまりにボールが飛び込み、危険だと判断されたために登場したのが「松井ネット」。右翼後方のネットを、それまでより高くした。それほど松井の打球は凄かった。

 「現役でも一緒にやったけど、彼は“昔ながらの選手”といったタイプだった。黙々と、仮に結果が出なくても決して妥協しない。弱音も吐かず、逃げ道をつくらなかった」。伝統ある巨人の中軸を任される責任の重さ。吉村氏自身も第53代の4番打者を務めた経験がある。それだけに、松井の野球に取り組む姿勢に共感した。そしてその精神は、現在の巨人にも確実に息づいているという。

 「(高橋)由伸や(阿部)慎之助…。いい形で残って、彼らに継承されていると思う」と吉村氏。大きな拍手で送り出してから11年がたった。貴重な財産は、時を経ても変わることはない。

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2013年1月15日のニュース