【レスリング】藤波朱理を4歳から指導 父・俊一コーチ「抱きつかれたのなんて初めてや」

[ 2024年8月10日 04:00 ]

パリ五輪第14日 レスリング ( 2024年8月8日    シャンドマルス・アリーナ )

<パリ五輪・レスリング女子53キロ級決勝>金メダルを獲得し父・俊一さん(左)と日の丸を手に笑顔の藤波(撮影・岡田 丈靖)
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 父の俊一コーチは4歳で競技を始めた娘を一貫指導してきた。現役時代は85、86年の国体を連覇し、その後は三重・いなべ総合学園高やいなべクラブで指導。21年東京五輪代表の高橋侑希らを育てた指導者として、“レスラー”藤波の最大の特長を「上手に触ること」と表現する。

 「例えば組み手の際、相手の仕掛けは目で見ても分かるが、触っているともっと分かる。動き出しの前、必ず筋肉が動くから、それを見るよりも先に察知できる。その感覚を磨きに磨きまくった。そして距離感がいい。近い、遠い、これなら攻められる、入られても逃げられるなど。そこは天性のものがある」

 指導者として「型にはめない。いいところを伸ばす」を信条としてきた俊一コーチは、娘も同じ方針で育成した。課題は体力や筋力面だったが、10代の頃はあえて筋力トレーニングをさせなかった。

 「力が強いと返し技ができる。でも触られる癖がつく。そういう選手は消える」。137連勝が始まる直前の黒星だった中2夏の全国中学生選手権決勝。「力でねじ伏せられた。だから本人は余計に屈辱だったと思う」と筋力差で敗れたが、それでも頑として方針を貫いた。正解だったと、パリで証明された。

 “愛娘”には、父親らしいことをほとんどしてあげられなかった。「旅行や誕生日祝いの記憶はない。運動会に行った覚えもない」。ジュニアクラブで指導して30年以上。土日返上で身をささげ、親子としては「何の思い出もない」と言いながらも、「何だかんだいっても一緒にいられるのが幸せだし感謝している。それしかないもん」と笑う。

 胸に飛び込んできた藤波をしっかりと抱きとめた俊一コーチ。「抱きつかれたのなんて初めてやと思います。最初で最後かな」と照れる顔は、父親としてのそれだった。

 ≪日本女子第1号 6大会連続頂点≫藤波が日本女子に今大会第1号の金メダルをもたらした。日本は女子が採用された04年アテネ五輪から6大会連続で頂点を確保した。2連覇を狙った50キロ級の須崎が敗れる波乱があったが、57キロ級の桜井、62キロ級の元木、76キロ級の鏡にも優勝の可能性があり、残り全員が勝てば金メダルは4個となり、16年リオデジャネイロ、21年東京両大会と同じ最多記録に並ぶ。

 ≪ケガからの回復力は祖母譲り!?武子さんはハチマキ姿で応援≫ケガからの回復力は母系譲りだった?!「風邪も熱も1日で治る。(22年の)足のケガも治りが早かった」と話す藤波の母方の祖母・中山武子さん(82)。今年6月に転倒して足を骨折。しばらく入院したものの、驚異的な回復力で同下旬に三重県四日市市で行われた壮行会に松葉づえをついて出席した。さらに「去年の世界選手権で勝った時に、すぐにチケットを買った」と千夏さんらと共にパリを訪れて現地観戦し、ハチマキを頭に巻いて応援した。「遺伝なんだ。感謝しなきゃ」と話す孫娘とは試合直後に抱擁、その絆の強さを世界へ発信した。

 ≪藤波が「一番尊敬」母千夏さん スタンドで観戦&うれし泣き≫藤波が「前向きで一番尊敬する人」と語る母・千夏さんはスタンドで観戦。金メダルが決まると、うれし涙を手に持っていた日の丸で拭った。今年4月から東京での親子3人暮らしを始めており、過去2年間は俊一コーチが行ってきた食事作りを担当。「私の料理より間違いなくおいしい。食事が減量に非常にプラスになった」と父が話す通りの存在感を示した母に、藤波も「ありがとうの思いを一番に伝えたかった」と感謝した。

 ≪一夜明け会見 「夢じゃない」枕元に金メダル≫金メダル獲得から一夜明けた9日、藤波はパリ市内で会見し「(メダルを枕元に)置いて寝た。起きたらあったので、夢じゃなかったと思った」と言葉に実感を込めた。今後については「心と体を一回リセットしたい」とした上で、「もっともっと上を目指して挑戦したい思いはある」と話し、4年後も五輪を目指す意向。厳しい減量が伴う53キロ級には別れを告げ、57キロ級で五輪連覇を目指すものとみられる。

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