日馬富士2場所連続全勝V「土俵の神様に感謝」

[ 2012年9月24日 06:00 ]

白鵬(手前)を下手投げで破った日馬富士

大相撲秋場所千秋楽

(9月23日 両国国技館)
 大関・日馬富士が横綱・白鵬を豪快な下手投げで破って、2場所連続の15戦全勝優勝を果たし、既に決定的となっている第70代横綱昇進に花を添えた。大関で連覇した日馬富士は横綱審議委員会の推薦内規を満たしており、24日の横綱審議委員会を経て、26日の九州場所番付編成会議と理事会で正式に昇進が決まる。新横綱誕生は07年名古屋場所の白鵬以来5年ぶり。朝青龍が10年初場所後に引退して以降続いていた白鵬の一人横綱は15場所でストップする。
【取組結果 星取表】

 無意識にやっていた。こん身の右下手投げで白鵬を倒した瞬間、日馬富士は自らの額を土俵につけていた。激闘を制して戻ってきた東支度部屋。「土俵の神様に“いつも勝利を与えてくれてありがとうございます”という感謝の気持ちでやりました」。額にべったりと砂をつけ、息を切らしながらそうつぶやいた。

 まさに死闘だった。立ち合いで白鵬に右四つに食い止められる。すぐに巻き返して左四つ。頭をつけて懐に入ろうともがいた。横綱の上手投げをこらえて豪快な投げで仕留めた。1分47秒6。今場所最長の一番だった。

 表彰式を終えた日馬富士は「全身全霊で自分の力を絞り出して悔いのない相撲を取りたかった。本当に良かったです。みんなの期待に応えられて良かった」と安どの表情で話した。最高位へは3度目の挑戦。場所前は食欲旺盛だったが場所に入ると重圧から食べる量が減った。その苦労も報われた。館内で見守った師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱・旭富士)は「熱戦だった。やったねという感じ。大したものだよ」と愛弟子を褒め称えた。

 8勝7敗で終わった夏場所後から肉体改造に取り組んだ。牛乳を毎日1・5リットル飲み、初場所後に始めた筋トレもやり方を変えた。負荷を大きくして回数を減らした。体重は自己最重量の133キロとなり、140キロしか挙げられなかったベンチプレスが200キロまで挙げられるようになった。

 意識も変わった。日本で出版されたモンゴルの歴史書「モンゴル年代記」をモンゴル語に翻訳した本を監修した。「絶対に子供たちに読んでもらいたい」と父ダワーニャムさん(故人)の出身地であるモンゴル南西部のゴビアルタイの小中学校に配布するという。モンゴルと日本の懸け橋となる決意が芽生えてきた。

 連勝は31に伸びて貴乃花(現貴乃花親方、本紙評論家)の記録を抜いた。2場所連続全勝優勝での横綱昇進は貴乃花以来で2人目の偉業。初土俵から所要70場所は昭和以降5番目の遅さ。武蔵丸(米国)朝青龍(モンゴル)白鵬に次いで4人連続で外国出身力士の横綱昇進となり曙(米国)と合わせて5人目だ。

 しこ名の「はるまふじ」は「綱を張る」との願いも込められ、その名に見合う地位に就く。日馬富士は「何とも言えない。もう少し考える時間をください」と実感が湧かないようだが、26日には第70代横綱・日馬富士が誕生する。

 ◆日馬富士 公平(はるまふじ・こうへい=本名・ダワーニャム・ビャンバドルジ) 1984年4月14日、モンゴル・ウランバートル生まれの28歳。00年9月に来日し、01年初場所で初土俵を踏む。04年九州場所新入幕。08年九州場所で13勝を挙げ、大関昇進。得意は突っ張り、右四つ寄り。家族はバトトール夫人(25)、長女・ニャムジャラガルちゃん(1)、次女・ヒシゲジャルガルちゃん(4カ月)。趣味は水彩画。血液型O。1メートル86、133キロ。

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