把瑠都 4大関すべて撃破!31日大関昇進だ

[ 2010年3月29日 06:00 ]

<尾上部屋春場所打上会>エレナ夫人とともに歓喜のポーズをとる把瑠都

 大相撲春場所千秋楽、“エストニアの怪人”把瑠都(25=尾上部屋)が琴光喜を寄り切って、大関昇進に花を添えた。今場所は11日目に白鵬に敗れたが、立ち合いからの突き押しがさえて4大関すべてを撃破するなど14勝1敗で敢闘賞と技能賞を獲得した。この日、審判部は武蔵川理事長(元横綱・三重ノ海)に大関昇進についての理事会(31日)の開催を要請。外国出身力士としては8人目、欧州出身では琴欧洲に次いで2人目となる大関への昇進が事実上決まった。

【取組結果


 その強さはすでに横綱級だった。千秋楽恒例の三役そろい踏みを終えた直後の琴光喜との一番。把瑠都はもろ手突きから右上手をガッチリつかみ、万全の寄り切り。結びで白鵬が敗れれば優勝決定戦までもつれるところだったが、横綱が勝利して初の賜杯は逃した。
 「今場所最後の土俵をいい相撲で終わりたいと思っていた。横綱が横綱相撲を取った。凄いと思います。強い。もちろん、悔しさもあった」
 横綱、大関以外で14勝を挙げるのは06年夏場所の関脇・雅山以来だが、積み重ねた白星よりも「1敗が痛い」と白鵬に喫した黒星を悔しがった。引き揚げる花道では優勝を逃した悔しさから思わず薄ら笑い。どん欲に優勝を狙いにいった強い気持ちが、結果的に大関昇進をたぐり寄せた。
 困窮した家族を養うため、そしてアスリートとしての自分の可能性を見いだすために04年に角界入り。だが、その土俵人生は順風満帆なものではなかった。わずか2年で新入幕を果たしたが、06年秋場所で左ひざ前十字じん帯と内側側副じん帯を損傷。その後、同じ左ひざを2度痛めて十両に2度陥落した。身も心もボロボロとなり、一時は夜の繁華街に繰り出しては飲み歩く日が続いた。
 そんな把瑠都の気持ちを大きく変えたのが師匠の存在だった。昨年10月にTシャツ、短パン姿で六本木を闊歩(かっぽ)する姿が写真週刊誌にキャッチされ、協会から厳重注意を受けた。自覚の足りない部屋頭に対して尾上親方(元小結・浜ノ嶋)は激怒。異例の外出禁止令を出し「精神面を鍛え直した」という。親方の指導力不足から引退に追い込まれた朝青龍とは違って、これを境に把瑠都は改心。大関昇進を目指す今場所は、毎朝稽古に顔を出し「若い衆や親方を引っ張りたい」と話すまで自覚が芽生えた。
 この日、審判部が武蔵川理事長に大関昇進について決議する理事会の開催を要請したため、大関昇進が31日に正式決定する。師匠の尾上親方は「今年中にも横綱にというぐらいの気持ちでやってほしい」とハッパをかけたが、本人は「大関での目標?なってから考えるよ。来場所は優勝目指して頑張りたい」と慎重だ。角界の新時代を担う25歳は、芽生えた自覚とともに初の賜杯、そして横綱昇進へと突き進む。

 ≪化粧まわしにパーティーに…周囲は大盛り上がり≫“大関・把瑠都”誕生に向けて周囲は早くも盛り上がっている。把瑠都の後援会関係者は「新しい化粧まわしを贈ることは確実です」と話し、この日にデザインの打ち合わせを開始。大関昇進に合わせて夏場所からお披露目する予定だという。また夏場所後には在籍する尾上部屋の建物が完成。6月には把瑠都の大関昇進パーティーと新部屋完成披露パーティーを合わせて行う見込みだ。

 ◆把瑠都 凱斗(ばると・かいと=本名・カイド・ホーヴェルソン)1984年11月5日、エストニア共和国ラクヴェレ県生まれの25歳。12歳からバスケット、16歳からは柔道を始め、03年にはエストニア王者に。04年2月に来日。三保ケ関部屋に入門し、04年夏場所で初土俵。05年秋場所、所要8場所で十両に昇進。その後は独立した尾上部屋に所属。06年夏場所で新入幕。今年春場所で14勝をマークし、大関昇進を確実にした。家族はエレナ夫人。1メートル98、188キロ。血液型A。

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2010年3月29日のニュース