【皐月賞】石橋守師 思い出勝負服のメイショウタバルと挑む!「大きなチャレンジ」

[ 2024年4月10日 05:30 ]

メイショウタバルと石橋守調教師(撮影・亀井直樹) 
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 春G1シリーズの水曜企画は「G1 追Q!探Q!」。担当記者が出走馬の陣営に「聞きたかった」質問をぶつけて本音に迫る。24年牡馬クラシック初戦「第84回皐月賞」は東京本社・鈴木悠貴(32)が担当。メイショウタバルを送り込む石橋守師(57)に「皐月賞」「メイショウ」「血統」の3テーマを問う。

 石橋師にとって忘れられないレース。それが皐月賞だ。騎手時代の06年。牡馬クラシック初戦で騎乗したのは、前哨戦スプリングSを制した6番人気メイショウサムソン。「在厩で不安なく仕上げられていた。結局、小倉での新馬戦(05年7月)から06年の有馬記念まで放牧に出なかったんだから、本当にタフな馬だったよね」。

 他の馬は関係ない。「この馬も能力はあったから」。相棒の力だけを信じて乗った。その思いに応えるようにサムソンは直線で鋭伸。先に抜け出したフサイチリシャールを残り100メートルで捉え、内で食い下がるドリームパスポートを抑え、堂々先頭でゴール板を駆け抜けた。当時39歳の石橋師。デビュー22年目、G142度目(皐月賞5度目)の挑戦で悲願のG1初制覇だった。「簡単にG1を勝てるとは思っていなかったから感慨深かった。しかもまさか初勝利がクラシックなんて…。幸せな気持ちだったね」。

 「青、桃たすき、桃袖」。石橋師にとって「メイショウ」の勝負服は特別だ。14年3月に厩舎を開業して今年で11年目。調教師としての初タイトルもメイショウタバルの毎日杯。その愛馬と皐月賞に挑む。「松本好雄オーナーにはジョッキーの時によく乗せてもらったし、調教師になってからも毎年馬を預けてくれている。今回もスプリングSをアクシデント(フレグモーネ=傷腫れ)で回避して毎日杯へ。厳しいローテになったけど、皐月賞出走のGOサインを出してくれた。本当にありがたい」

 前走の毎日杯V後には松本オーナーから祝電が届いた。「僕が重賞初制覇だったのを知らなかったみたいで“重賞初めてやったんか!良かったな~”と言ってくれた。本当にうれしかった」。恩人とつかんだ念願のクラシック切符。「ずっとお世話になっている。なんとか恩返しをしたいね」と意気込む。

 血統にも思い入れがある。13年2月末にステッキを置いた石橋師。ジョッキーとして最後の勝利はメイショウタバルの母メイショウツバクロ(13年1月26日、京都4R新馬戦)で挙げた。「この馬にはこの1回しか乗っていないんだけどね。たまたまとはいえ、その産駒でこの舞台に向かえるというのは大きいね」。

 調教師になってからはツバクロの第2子で、タバルの半兄にあたるメイショウメイスイも管理。「メイスイとタバルは馬体がまるっきり別。タイプが違うね。タバルの方がやっぱりスピードがある」。JRAでは未勝利に終わった半兄への思いも背負っての「大きなチャレンジ」。人と馬との縁が詰まったレース。サムソンと、松本オーナーと喜びを分かち合ったあの日から18年。今度は調教師・石橋守として、忘れられない一日を迎えようとしている。

 ◇石橋 守(いしばし・まもる)1966年(昭41)10月23日生まれ、滋賀県出身の57歳。85年3月、栗東・境直行厩舎所属で騎手デビュー。JRA通算9468戦473勝、重賞15勝。12年に調教師免許を取得し、13年2月に騎手を引退。14年3月に厩舎開業。JRA通算2405戦145勝。

 【取材後記】
 記者2年目、初めての栗東トレセン。1人目の取材相手が石橋師だった。自転車で厩舎に戻ろうとするトレーナーを見つけ、恐る恐る声をかけると…。「サムソン?昔のことなんか忘れたよ」と“洗礼”。それでも「美浦から来たんです。どうか聞かせてください」と必死に食い下がった。すると「そうか、それなら話さなあかんな」と自転車から降りて昔話を始めてくれた。忙しい中、30分も時間を割いて丁寧な受け応え。取材を終えると「ほんまありがとな」と何度も私に頭を下げてくれた。

 栗東取材の最終日。厩舎に赴き「3日間ありがとうございました」と石橋師にお礼を伝えると「そうか、美浦に帰るんやったな。お疲れさま。気をつけて帰ってね」とねぎらいの言葉。高校時代、テレビで見ていた憧れのダービージョッキーは、人柄も一流だった。 (鈴木 悠貴)

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