伊藤雄二元調教師旅立つ…85歳、老衰 エアグルーヴなどG1馬9頭手掛けた名伯楽、武豊「恩人です」

[ 2022年8月20日 05:10 ]

伊藤雄二・元調教師(07年2月撮影)
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 JRAは19日、歴代8位の1155勝を挙げた元調教師の伊藤雄二(いとう・ゆうじ)氏が17日に老衰のため死去したと発表した。85歳。1966年に騎手から調教師に転向し、93年のダービー馬ウイニングチケット、G1・2勝の女帝エアグルーヴなど数々のスターホースを育てた名トレーナー。葬儀は親族のみで19日に行われた。

 記憶にも記録にも残る名トレーナーが天国に旅立った。馬場馬術界で活躍した父・木下芳雄氏の影響を受け、幼い頃から馬に親しみ、高校在学中に騎手見習いとなり、59年に騎手デビュー。主に障害レースを中心に騎乗した。66年、29歳のときに義父が急逝、騎手を引退して調教師に転身することになった。

 調教師人生42年で積み上げた勝ち星はJRA歴代8位の1155勝。JRA賞・最高勝率調教師のタイトルは7度獲得。07年の引退間際には「ずっとファンあっての競馬と思って、やってきた。ファンにお返しするには連対率を上げるのが一番。そしたら、うちの厩舎の馬を買ってもらえる」とファン目線を忘れなかった。

 常識にとらわれず、さまざまな新しい調整方法も確立した。当時の追い切り日は木曜が一般的だったが、追い切り後のケアや微調整を考慮して水曜追いの方がベターと判断。「馬は生き物だし、一頭一頭、性格もみんな違う。その馬に合った調教をしないといけない」。今や主流の水曜追いのパイオニア的存在になった。当たり前になっている東京、中山、小倉などへの直前輸送も試行錯誤の末に貴重なノウハウをマスターした。

 調教師として挙げたG1(グレード制導入前を含む)は13勝。93年ウイニングチケットで日本ダービーを制した。女帝と呼ばれたエアグルーヴは97年天皇賞・秋を勝ち、同年に牝馬としては71年トウメイ以来、26年ぶりとなる年度代表馬に選出。同馬は繁殖牝馬としてアドマイヤグルーヴやルーラーシップのG1勝ち馬を出し、近代競馬を支える血脈として受け継がれている。

 引退後の14年には「昭和58年、59年、62年と年間最多勝利を3回記録するなど優れた実績を残しており、中央競馬の発展に多大な貢献があった」ことを評価され、競馬の殿堂入りにあたる顕彰者に選出されている。

 ▼武豊(伊藤雄二厩舎でG1勝利はシャダイカグラ、エアグルーヴ、ファインモーション、エアメサイアで計6勝)伊藤雄二先生の親族から、お亡くなりになったと連絡をいただきました。寂しいです。大御所なのに気さくな人柄の伊藤雄二先生には、ずっとかわいがってもらいました。なので恩人です。たくさんG1を勝たせてもらった中でエアグルーヴの天皇賞・秋(97年)は牝馬による17年ぶりの勝利が話題として大きく取り上げられたこともあり、当時は先生と一緒に偉業を達成した充実感がありました。恩返しできたと思っていないし、まだまだ頑張るボクの姿を先生には天国で見守ってもらいたいです。

 ◇伊藤 雄二(いとう・ゆうじ)1937年(昭12)1月14日生まれ、大阪府北河内郡枚方町(現・枚方市)出身。旧姓は木下。父は馬場馬術界で活躍した木下芳雄。兵庫県西宮市育ちで、幼少時から父の開いた乗馬クラブで馬と触れ合い、高校時代の馬術部では全国3位に。高校在学中に阪神の伊藤正四郎調教師に入門。見習い騎手となり59年に騎手デビュー。60年に娘婿となり伊藤姓に。66年、義父の急逝により騎手を引退し、調教師に転身。調教師としてマックスビューティ、ウイニングチケット、エアグルーヴ、ファインモーションなど数多くの名馬を手掛けた。07年2月に調教師を引退。JRA通算7501戦1155勝、うちグレード制導入前を合わせてG1・13勝を含む重賞77勝。

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