岡谷美由紀 初V夢見て飛躍の誓い「まずはハンデ減らしていく」

[ 2014年12月31日 05:30 ]

「1級車に乗るのが楽しみ」と岡谷

 13年7月にデビューした女性オートレーサーの1人、岡谷美由紀(30)。1年半がたち、来年からは2級車を卒業し、1級車でレースに挑む。少しずつ選手として成長しているが、「スタートが課題で、トップスピードにうまく入っていくことができない」と話す。ハンデでありながら、なかなか勝ちきれないことに悔しさを感じている。しかし、1級車に乗り替わることを飛躍のきっかけにしたいと話す。

 「1級車を練習して、乗り心地がいい。外を回る2級車とはレースも変わってくるけど、そこを怖がっていると勝てない。今は不安よりも楽しみが大きいです」と笑顔を見せた。

 長野県出身の岡谷はスピードスケートの選手だった。幼稚園の時にスケートを始め、高校はスケートの名門・東海大三に進学。同級生には06年トリノと10年バンクーバーと冬季五輪2大会に出場した吉井小百合がいた。岡谷も「五輪でメダルを取ることだけを考えていた」とスケートにうちこみ、高校2年のインターハイではスピードスケート500メートルで2位に入り、夢への足がかりをつかみかけた。しかし高校3年、レース中に同走した選手が転倒し、すねにエッジが刺さり負傷。体のバランスが崩れ、タイムを伸ばすことができなかった。

 「スケートで大学推薦の話はありましたが、実業団に行かないと成績が伸びない」実業団からオファーがなかった岡谷はクラブチームで競技を続けたが、金銭的な負担も重く競技生活を断念した。「社会人生活を始めて一生懸命仕事に取り組めば、充実感は得られると思った。でもずっとモヤモヤしていて、何かないか探していた」

 実は競技生活終了後、バイクに乗っていた岡谷はオートレーサーになることも考えた。しかしその当時、オートレースは女子選手を受け入れていなかった。そこから数年がたった13年1月、44年ぶりの女性オートレーサーとして復活したが、練習中の事故で死亡した坂井宏朱さんのニュース。そこで女性でもオートレースができることを知った岡谷はオート界に飛び込んだ。

 「周りの友達からはびっくりされましたね。(オート選手は)なかなか出てくる選択肢ではないので、でも突拍子もないことをやりだすのは美由紀らしいと言ってくれました」と送り出してくれた。養成所生活は自分で選んだ道だったがきつかったが充実していた。スケートにうちこんできた時の思いがよみがえった。この充実感こそが岡谷の求めてきた世界だった。「まだいい成績を上げられてないけど、オートレーサーになれたことが幸せです」。

 同期の女性レーサーはまだ誰も優勝をしてない。「1級車に乗り替わってどうなるか。すぐには勝てないと思うけどいつかは。まずはハンデを減らしていくことです」と来年の目標を静かに見据える。

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2014年12月31日のニュース