【中村鶴松の鶴明times 6】「中村屋の守り神」中村小山三さんが見せた「舞台俳優として究極の形」

[ 2025年11月23日 09:00 ]

「中村屋の守り神」として慕われた二代目中村小山三さん
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 【中村鶴松の鶴明times】歌舞伎の世界を描いて大ヒット中の映画「国宝」(監督李相日)の主人公の喜久雄さながらに“部屋子”からスターダムに駆け上がろうとする俳優がいる。中村鶴松(30)だ。一般家庭で生まれ、十八代目中村勘三郎さんの元で修業する部屋子となり、歌舞伎俳優の人生を歩み始めた。

 第6回では2015年に94歳で亡くなるまで現役で舞台に立ち続け「中村屋の守り神」として親しまれた二代目中村小山三さんとの思い出を語った。

 小山三さんは4歳で三代目中村米吉(のちの十七代目中村勘三郎)に入門し、1926年に中村小米の名で初舞台を踏んだ。以後90年近く舞台に立ち続けた。師匠の十七代目からは「俺が死んだら小山三を一緒に棺桶(かんおけ)に入れてくれ」と言わしめるほど、絶大な信頼を寄せられていた。女方として、そして古参の弟子として中村屋を四代にわたって支えた生き字引の経験は鶴松の中で大きな財産となっている。

 「鶴松になってすぐの時は小山三さんと楽屋も2人で一緒になり、いろいろなことを教えていただきました。怖い方でしたね」と当時を振り返る。衣裳の着方など、古くからの伝統を大事にしており、それを若手俳優たちにも教え込んだ。「衣裳や化粧は今でこそ、左右対称で近代的な美しさというのが女方の常識となりつつある。でも昔はそうじゃない。自分で着ているから、そんなにきれいに着られるわけがない。ぐちゃぐちゃに着ろと言われました。化粧でも手鏡を使うなと言われましたね」。手鏡を使わないのは、近くからの見え方ではなく、少し遠くの客席から見た時にきれいであるべき、という考えからだという。だからこそ目尻に入れる「目張り」も大きくし、遠くから目立つようにというのが小山三さんの考え方だった。

 同じ女方の衣裳の着こなし方、化粧にもここ半世紀での考え方の違いが大きく表れる。「あと10年遅く生まれていたら昔のことは知ることはできなかった。小山三さんがいた世代を知っているというのは大きな財産だと思います」と鶴松は口にした。

 芸には厳しい一方で私生活の面倒見は大変に良かった。「心がガラスのようにきれいな人だったんです。僕の心配もしてくださっていたようですし、誰かが不幸な目に遭ったと聞いたら号泣するような方でした。すごく人間らしい、温かい人でした」。そうした人情あふれる人柄は舞台の上でも遺憾なく発揮された。

 「ぱっと舞台に出ていっただけで、お客さん全てを振り向かせる。勘三郎さんもそうでしたが、愛嬌(あいきょう)があった人でしたね。出てきただけで舞台を明るくして、全員を注目させるというのは舞台俳優として生きていく上では究極の形で目指すところなんだと思います」。

 亡くなって10年以上たった今でも心に刻まれている。勘三郎さんと小山三さん。2人の伝説から学んだことは今も鶴松の芝居の中に生きている。

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