【中村鶴松の鶴明times 1】「子役清水大希」としての幼少期 音羽菊七さんから学んだ歌舞伎俳優の軸

[ 2025年8月24日 09:00 ]

舞台前に化粧を施される幼少期の中村鶴松(本人提供)
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 【中村鶴松の鶴明times】歌舞伎の世界を描いて大ヒット中の映画「国宝」(監督李相日)の主人公の喜久雄さながらに“部屋子”からスターダムに駆け上がろうとする俳優がいる。中村鶴松(30)だ。一般家庭で生まれ、十八代目中村勘三郎さんの元で修業する部屋子となり、歌舞伎俳優の人生を歩み始めた。本連載「中村鶴松の鶴明times」ではそんな鶴松のこれまでの歩みと今後について迫っていく。連載タイトルの「鶴明(かくめい)」は自身の名前の「鶴」と師勘三郎さんの本名「哲明」から一文字ずつ取ったもので、自身の自主公演にも使っている。名前には歌舞伎界に革命を起こすという意気込みも込められている。第1回は部屋子になる前の「清水大希」時代にスポットライトを当てる。

 部屋子とは幹部俳優のもと楽屋で修行を行う存在。現在歌舞伎界は「御曹司」と呼ばれる歌舞伎俳優の実子を中心に世襲で、芸をつないでいくのが主流。その中で「部屋子」は一般家庭出身の役者が大きな役をつかむ登竜門といえる仕組みとなっている。現在は人間国宝である坂東玉三郎や、市川右團次、片岡愛之助らが部屋子を経て、第一線で活躍を見せている。

 鶴松は1995年(平7)3月15日、米国の大学を卒業した会社員の父と英米文学科出身の母の間に生まれた。両親はともに語学堪能で、日本を代表する伝統芸能である歌舞伎界とは正反対の出自。もちろん親類にも歌舞伎関係者は見当たらない。そんな両親のもと、鶴松は週6日、習い事に打ち込む生活を送った。ドラム、モダンダンス、習字とジャンルは多岐にわたる。

 「幼稚園くらいまでは1人で部屋にこもって、ウルトラマンとかのまねが好きな子供でした。小学校に入ってからは目立つのが好きな子になりました。元々目立つのが好きな子だったんですね」と幼少期を振り返る。

 3歳で児童劇団に入団。「現実と最もかけ離れている演劇が歌舞伎だと思いました」。5歳で「源氏物語」に茜の上弟竹麿として出演してからは歌舞伎の舞台にも出演するようになった。「お化粧はすごく嫌でした。昔の人は筆をつばでなめたりしてやるんですよ。そういうのも、すごく嫌でしたね」と子供ならではの思い出を語った。

 厳しい指導が鶴松の原点となっている。歌舞伎に本格的に出演するようになってからは日本舞踊家子役指導の音羽菊七さんに師事した。菊七さんは愛之助、澤村精四郎ら2000人以上を指導した子役指導の第一人者。最晩年の弟子として、楽屋での作法、目上の人物への心配りなどを厳しく仕込まれた。

 「例えば下着の色は白でないといけない。トイレに行く時もあいさつをする。牢獄(ろうごく)の囚人のようでした。あと台本ももらえず、先生の言葉をノートに書く。映像も見られませんでしたね。だから今の子役の子たちを見ると僕らの頃とは全然違うなと思います」

 時にはインフルエンザで40度を超える熱の中、舞台に立ったこともあった。「人生で一番の高熱。小学校1年生の時。今じゃありえないですけど、楽屋に先生を呼んで、直前まで点滴して、そのまま舞台に出ていましたね」と笑う。そんな過酷な日々の中で「子役清水大希」として頭角を現した。「菊七先生は厳しいけれども、考えていてくれたと思います」。台本なく、動きをまねることで培ったのは表現力。今も立役、女方を器用に演じ分ける万能さに通じていると考えている。

 「部屋子という立場で苦しい言葉を言われることもあった」と語る鶴松。そんな時に道しるべとなったのが境遇を同じくする先輩俳優。次回は「ケンケン」と慕う先輩俳優と同じく鶴松が心血を注ぐ演目に迫る。(前田 拓磨)
※隔週日曜・午前9時掲載予定

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