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【浜田剛史 我が道4】部活とジムでボクシング漬け…できる限り早くプロになろうと

[ 2026年1月5日 07:00 ]

沖縄水産高1年の時に韓国遠征(右から3人目)
Photo By 提供写真

 小学生でボクシングに出合い、すぐにこう思いました。

 「オレも大人になったら、世界チャンピオンになる」

 当時は今と違って、世界挑戦すら難しい時代。世界王者になると言うと「バカじゃないか」と相手にされなかった。それでも「オレは…」と思った。根拠はないです。ただ、そのために、全てをボクシングに懸けようと思ってました。

 ボクシングの強豪、中央高の推薦入学が内定したころも、プロライセンスが取得できる17歳になったら、東京に行ってプロになろうと思っていました。ファイティング原田さんは、中2でボクシングジムに入門して、年齢を偽って16歳でプロになっている。早くプロにならないと、世界王者になれないと思ったわけですね。

 ただ、推薦のことは親に内緒だったので、受験が近づくと、ボクシングはさせないという親の方針で、中央高にも行かせないとなりました。そうすると、授業料を出すのは親ですから、県立高校に行かなければならない。県立でボクシングが一番強かったという理由だけで、沖縄水産高を選びました。もちろん、船乗りになるつもりはありませんね。

 入学してしまえば、親も部活にまで口を出せない。そもそも、高2の11月には17歳になる。入学してすぐにボクシング部に入り、オートバイの免許も取りましたから、部活が終わると、バイクで糸満市の高校から那覇市の沖縄帝拳ジムに行って、練習する毎日が始まりました。

 雄二、豊と沖縄の高校王者になった2人の兄のおかげで、入学前からオレは有名だったようです。ボクシング部の川上栄秀監督も、沖縄水産高に入学したのを知らなかったらしく、入部すると「えっ!」と驚いてました。

 沖縄水産高は、当時はリングがなくて、机を片付けて教室で練習してましたね。床は木でキャンバスはなし。ロープもなくて、1年生が四角に並んで押し返す人間ロープ。キャンバスのフットワークとか、ロープに詰めてからの攻撃とか、練習できなかったですね。川上監督も、空手出身でボクシングの経験はない先生でした。

 後日の話になりますが、3年のインターハイの前に、オレが優勝したら部のリングを買うと、校長先生と川上監督が約束していたそうです。当時で100万円ぐらいだったそうですが、優勝して、後輩にリングを残すことができました。

 1976年(昭51)6月、インターハイの沖縄予選があって、入学して2カ月しかたっていないオレが出場しました。フライ級決勝で、興南高の3年生に判定負けでしたね。今でも、負けたとは思ってないですけどね。

 ◇浜田 剛史(はまだ・つよし)1960年(昭35)11月29日生まれ、沖縄県出身の65歳。沖縄水産高で高校総体王者。帝拳ジムからプロデビューし、84年12月に日本、85年7月に東洋太平洋のライト級王座を獲得。86年7月にレネ・アルレドンド(メキシコ)を衝撃的な初回KOで破り、WBC世界スーパーライト級王座を獲得した。戦績は24戦21勝19KO2敗1無効試合。現在は帝拳ジム代表。

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