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武藤 ケガには勝てず「来年の春までに」引退 黄金期彩った闘魂三銃士、プロレスLOVE

[ 2022年6月13日 05:30 ]

サイバーファイトフェスティバル2022 ( 2022年6月12日    さいたまスーパーアリーナ )

リング上で引退表明する武藤
Photo By 提供写真

 「闘魂三銃士」の一人として90年代のプロレス黄金期を支えたプロレスリング・ノアの武藤敬司(59)が来春までに引退することをリング上で発表した。痛めていた股関節の状態が思わしくなく断腸の思いで引き際を決断。引退までのスケジュールは今後決めることになるが数々の修羅場を乗り越えたレジェンドも度重なるケガには勝てなかった。

 その瞬間、アリーナ内がどよめきに包まれた。第9試合終了後、「HOLD OUT」の入場曲が流れ、武藤は花道をゆっくり歩んでリングイン。来場のお礼を述べると「かつて、プロレスとはゴールのないマラソンと言った自分ですが、ゴールすることに決めました。来年の春までには引退します」と宣言した。

 度重なるケガで体は限界に達していた。18年3月に最後の月面水爆(ムーンサルトプレス)を敢行すると両膝の人工関節手術に踏み切る。その後もノアでタッグベルトを奪取するなど気を吐いたが、左股関節唇損傷のために今年1月8日横浜アリーナ大会を最後に欠場。5月21日の大田区大会で4カ月ぶりに復帰するも精彩を欠き「自分の技をかけるときに股関節に痛みが走ったりする。近々に報告することがあります」と発言していた。

 バックステージでは「股関節が膝と同様、疲弊している。このまま続けても、いずれは股関節も人工関節にしないといけない。人工関節になった時点でプロレスはできないです」と苦しい胸の内を吐露。現役へのこだわりは強かったものの「ドクターストップというか、断腸の思い」と寂しそうに話した。

 引退試合までのスケジュールは現時点では未定で「会社(ノア)と話して早めに決めたい」という。世界的な知名度と人気を誇るレジェンド。来春にはその雄姿を見られなくなる。自身の化身であるグレート・ムタの去就を問われ「おそらく、もう魔界の門は開かなくなる。1、2回開いたらもう閉じて出てこられなくなるような気がします」と答えた姿に哀愁が漂っていた。

 ◇武藤 敬司(むとう・けいじ)1962年(昭37)12月23日生まれ、山梨県富士吉田市出身の59歳。1984年4月、新日本プロレスに入門。同期の蝶野正洋、橋本真也と「闘魂三銃士」と称され、同団体のエースに。その後全日本、WRESTLE―1、ノアで活躍、メジャー3団体のシングル、タッグを完全制覇。1メートル88、110キロ。得意技はシャイニング・ウィザード、足4の字固め。家族は久恵夫人と1男1女。

 【武藤のこれまで】

 ☆1984年10月5日 新日本越谷大会でデビュー。相手は蝶野正洋。
 ☆88年7月2日 武者修行先のプエルトリコで橋本真也、蝶野と「闘魂三銃士」を結成。
 ☆89年 NWAマットで顔などにペインティングを施したグレート・ムタとして登場。
 ☆95年10月9日 UWFインターとの対抗戦(東京ドーム)。大将戦で高田延彦に足4の字固めで勝利。
 ☆02年1月 新日本プロレスを電撃退団。
 ☆同2月26日 全日本プロレスに入団。その後馬場元子社長から株式を譲り受け、オーナー兼社長に就任。
 ☆10年3月9日 変形性膝関節症による右膝関節内遊離体除去の手術を行うことを発表し、4月5日に手術を行い成功。
 ☆13年7月10日 新団体「WRESTLE―1」の旗揚げ。
 ☆18年3月 最後の月面水爆を敢行。両膝の人工関節手術に踏み切る。
 ☆21年2月15日 プロレスリング・ノア入団。
 ☆22年2月8日 左股関節唇損傷による長期欠場を発表。

 ▼藤波辰爾 現役引退と聞いて、「ついにか」と思いました。体調を見た上での発表だと思いますが、もう一度肌を合わせたかった。武藤くんは入門の時から知っているし、数え切れないほどの激闘を繰り広げてきた。本当に凄い選手でしたし、プロレスへの感性も持っている。引退後も後進の指導であるとか、これからをつなぐ存在であってほしい。

 ▼神奈月(ものまねを20年以上) まさか武藤さんの口から引退の言葉聞くとは…ショックです。同世代のレスラーの中で長く現役を続けてこられたことに敬意を払いたいです。本人いわく「来年の春まで数試合」。痛みに耐えながらわれわれファンに天才武藤敬司を見せつけてください。イヤーッ!(ツイッターから)

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