「キックの鬼」沢村忠さん、肺がんで死去 78歳…真空飛び膝蹴りで一世風靡

[ 2021年4月1日 19:22 ]

1970年1月2日、キックボクシング東洋ライト級タイトルマッチで、チャンピオン・沢村忠さん(左)の回し蹴りが、タイ国ウェルター級2位・ソムチャイ・ルークパンチャマの顔面を襲う

 「キックの鬼」と呼ばれ国民的な人気を誇った伝説のキックボクサー、沢村忠さん(本名・白羽秀樹=しらは・ひでき)が3月26日に肺がんのため死去していたことが1日、分かった。78歳だった。昨年から体調を崩し千葉県内の病院に入院していた。

 沢村さんは祖父の影響で中国唐手(とうで)を始め、日大芸術学部時代には空手四大流派のひとつ剛柔流を学び、全日本学生選手権を制覇するなど無敵を誇った。その後、キックボクシングの名称を考案した野口ジム会長の野口修氏(故人)と出会い、タイ式ボクシングの強さを知りキックボクシングに転向。1966年4月11日。日本キックボクシング協会の旗揚げ戦で目黒ジムからリングネーム「沢村忠」としてデビューした。

 その後は3戦目にタイの選手に敗れるが、KO勝利を積み重ね日本キックボクシング協会の東洋ミドル級王座を14度、同ライト級王座を20度防衛した。抜群の跳躍力を生かし高くジャンプした状態で空中で相手の後頭部あたりに蹴りを放ち、膝で打ち込む「真空飛び膝蹴り」で一世を風靡(ふうび)。自らの半生が描かれた「キックの鬼」(が梶原一騎原作)はテレビで放映されると「30%超えの高視聴率を獲得。爆発的な人気を集めた。

 1973年には「日本プロスポーツ大賞」を受賞。三冠を達成したプロ野球の王貞治を抑え受賞。世界的にも有名なスーパースターとなった。1976年7月の試合を最後にキックボクシングを引退。公表されている生涯成績は241戦232勝5敗4分、KOは228と驚異の戦歴を残した。引退後は東京都内で整備工場を経営する傍ら、道場で子どもたちにキックボクシングを教えるなど普及にも携わった。

 19歳で沢村さんの付け人を務めた新日本キックボクシング連盟の伊原信一代表は「酒は飲めなかったが、女には本当モテた」と明かす。興行中は前座から若手の試合をリング脇から観戦し、試合後のアドバイスを欠かさなかったという。「常に競技のことを考えている人さった。スーパースターでこんなに謙虚な人はいない。キックボクシングの今があるのは沢村さんのおかげ。感謝しかない」としのんだ。

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