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フジタ“Jr”ハヤト 約3年ぶりリング復帰へ「リングは俺が生きる場所。12月13日は凄く大事な日」

[ 2019年12月10日 10:00 ]

スポニチアネックスのインタビューに応じたフジタ“Jr”ハヤト
Photo By スポニチ

 今月13日、みちのくプロレス後楽園ホール大会で約3年ぶりに1試合限定の復帰戦に臨むフジタ“Jr”ハヤト(33=みちのくプロレス)がスポニチアネックスのインタビューに応じた。現在がんと闘病しながらも復帰戦を決めた思いや約3年ぶりにリングで戦う思いを熱く語った。

 ――11月27日に「フジタ“Jr”ハヤト支援大会~ハヤトエール~」が開催されました。終わってみてどんな感想を持ちましたか?
 「疲れましたね(笑い)だけど開催して良かったと思いました。一番は元気が出たことですね」

 ――メインイベント終了後、涙ながらに「どんな姿になってもいいから試合がしたい」という訴えがありましたが、当時はどんな心境だったんですか?
 「リングに上がった時は『1つ爆弾を落とそう』って感じでした。メインイベントが終わって、拳剛や竹田(誠志)先輩や望月(成晃)さんやのはし(たろう)さんの試合が終わった人にしかわからない空気の中でリングに上がりました。試合を見ている時から熱くなっていました」

 ――試合を見ていて気持ちが熱くなっていたんですね。
 「そうですね。拳剛は新宿FACEで一緒に戦うために誘いましたし、拳剛と初めて戦ったのも新宿FACEだったので、いろいろと思うこともありました。俺はリングでメインイベントに出場した選手たちと握手をしている時に『無茶を言ってみよう』と思っていました。そこで、無茶を言って復帰戦が決まったとしても俺は全然大丈夫でしたし、復帰戦が決まらなかったら『まぁそうですよね』って感じでした。だから、無茶を言わないで『あの時に無茶を言えば良かった』と思わないようにしようと思ってリングに上がってマイクを持ちました」

 ――ハヤト選手の発言を受けて、新崎人生社長も理解した上で医師の方の了承を得られれば試合を実現するという前向きな形で大会が終了しました。大会後に医師の方とはどんな話をしたんですか?
 「俺を治してくれるチームが病院にはあるので、これまで病院に通いながらその人たちとは『どうしても試合がしたい。どれくらいの期間だったら試合をしていいのか』という話は今までもずっとしてきました。でも、実際は身体の調子が悪い時もありますし、トレーニングをやろうと病院から家に帰って、家に到着したら疲れが出てしまってジムに行けないということもありました。その中で俺は、病院を中心とした生活にストレスを感じていました」

 ――治療とリハビリの生活にストレスを感じていたんですね。
 「そうですね。仲間たちの試合情報などが嫌でも入ってくる時代なので、だったら俺も何かしたいと病院の先生たちにはずっと言っていました。ハヤトエール後に『試合をしたいとリングで言ったので、1試合でもいいから試合の許可を出してください』と病院の先生たちに伝えました。その後、計10時間ぐらい使って、腫瘍の大きさは今どれくらいなのかを調べたり、骨を削った所は今どうなっているのかなどを全部含めて検査をしました。投与も一時よりも落ち着いています。がん患者と聞いてイメージするような、身体が痩せて、髪も抜けてしまうことなども初めの1年ぐらいはありました。でもそういう姿を見るのもストレスになるから自分から坊主にしていました。でも今はそういうのも全く無くなりました。だけど、身体がつらくなることもあるので、そういう話も全部病院の先生たちには話しました。検査も終わって、今回は外傷ではなく身体の中の問題です。だけど、胃や脳腫瘍など脳系でもないですし、心臓の問題でもないので、腫瘍が転移してなければ死に至ることはないです。だから病院の先生には『自分の身体や足の動きにセーブされるところが出てくるかもしれないですよ』と言われたので、自分は『試合が出来るのであればそこはどうでもいいです』って感じでしたね。そして検査結果が出て、とりあえず1試合だけという条件で了承が出ました」

 ――長時間の検査を受けた結果、医師の方々から1試合限定復帰戦の許可が出たんですね。
 「そして病院の先生からいつ復帰したいのか聞かれたので『12月13日に後楽園大会があるので、そこで復帰したら話題性もあると思うんですよね』と伝えたら病院の先生は『身体的に大丈夫なの?』と言われました。でもけんかする時って、鍛えてから『よしっ!けんかしよう』ということはないので、病院の先生には『あんまり関係ないですかね』と伝えました(笑い)実際は来年の1月でも2月でも3月でも良いと思っていました。後楽園大会は日程が近かったですし、全カードも発表されてなかったです。今のタイミングならカードも組めると思っていました。そしてハヤトエールの時に拳剛を復帰戦の相手として指名して、拳剛の後楽園大会のカードも発表されていなかったので、余計に後楽園大会で復帰したいという思いもありました。あと1月の仙台大会や矢巾大会、2月の新木場大会、3月の矢巾大会のどれかで復帰戦となるとちょっと時間が空いてしまうので、その時間の間に腫瘍の問題や体調の問題で試合が出来なくなる可能性もあります。それなら元から復帰が決まっていたと思われてもいいし、『ハヤトは本当に大丈夫なのか?』と思われてもいいから12月に復帰できることの方が身体的にありがたいと思っていました」

 ――医師からの了承が出た以上、身体的にも早い段階で試合がしたかったんですね。
 「はい。でもその中で病院の先生からは『ハヤトと試合する選手がどのような気持ちで試合をすればいいのか。相手の選手はその試合をどのように見届けないといけないのかなどをもっと考えた方がいい』と怒られました…俺の中では、もちろん心配してくれることもわかっています。でも俺の人生だから俺が決めたいんですよね。これは親にも言っているし、そこは昔から変わっていない所です。俺がこういう状況を背負っているから試合がぬるくなるみたいなことは考えられません。だからこそ復帰戦の相手として拳剛を指名しました。思いっきり壊しにきてほしいし、その代わりに俺も壊しにいきます。復帰戦の相手として、それが出来る相手が良いと思っていました。これからも続く闘病生活に向けて試合自体も激しい方が俺は燃えることを病院の先生たちにも説明しました。試合の制限時間も病院の先生たちと相談して15分1本勝負になりました。ここまでは俺と病院側の話でしたが、ここから会社と病院側の話し合いになり、最後に会社と俺の話し合いになりましたね。病院の先生たちには、どれだけ復帰したくて、リングに戻って戦いたいのかという思いはずっと伝えてきました。この1戦を戦って、俺のストレスが無くなり、またどこかで1試合戦うことは出来ないことではないと思います。完全復活するとなればツアーにも出ないといけないので、それは身体的にもキツイです。なので、今後1試合ずつ戦い、それが増えて2試合ずつ戦えるようになって、その後に完全復活かなと思います。これが今回の検査が終わり、話し合ってわかったことでした」

 ――12月13日後楽園大会で1試合限定の復帰戦が決まりました。復帰戦が決まった時は素直にどんな思いでしたか?
 「『復帰したい』と言って良かったと思いました。俺だから復帰戦も決まったと思っています。これが違う選手だったら、まず試合がしたいと思っていないし、そういう場所を与えてもらっていないと思います。あと心も折れていると思います。1試合限定の復帰戦が決まってうれしいけど時間がないから不安な気持ちもあります。でも病院が後楽園ホールから近いからどうでもいいやと思っているところもあります(笑い)。とりあえずは1試合限定で病院も近いから思いっきり戦おうと思っています。感覚的に例えるならタイトルマッチが決まって『よし!決まったか』という感覚と全く一緒ですね」

 ――今まで試合していた時と変わらない感覚なんですね。
 「この3年間は何もしてなかったわけではないです。リングに戻るためにリハビリも続けていましたし、膝をけがしたからキックのフォームを変えないといけなかったので、キックの練習もしてきました。あと見えない敵と戦ってきましたからね。それより怖いものは何もないです。だから復帰戦が決まって『俺は持ってるな』と思いましたね(笑い)」

 ――復帰に向けて現在のコンディションはどんな感じですか?
 「良い感じと言ったらうそになります。100%ではないと思いますけど、やれることやってきました。だから後悔は200%してないです。あとは俺があんまり復帰戦とは思っていないかもしれないですね。テストというか今のこの現状でどこまで戦えるのかを知りたいです。俺が思っているレベルで戦えたのであれば、結構良いなと思います。俺の中では、かなり高い位置で格闘技のハードルを設定しています。だけど、今はそのハードルを下げています。もしその下げたハードルの位置にも達してなければ、その場で辞めます。それぐらい自分自身に対してのテストだと考えています。大事な試合なので今出来る範囲でコンディションも作らないといけないと思っています。『痛い』なども言っている場合ではないですからね。だから復帰戦を大会の第1試合にした部分もあります」

 ――約3年ぶりのリングへどんな思いがありますか?
 「リングは俺が生きる場所です。俺にとって、デビュー15周年を迎えて1番大切な試合だと思っています。だから今回の試合は、かなり気合も入っています。仲間やファンの人たちそして自分自身も含めて約3年待たせたのでやらなきゃいけないと思っていますね。そしてみちのくプロレスの冬の風物詩でもある“宇宙大戦争”という大会を盛り上げないといけないです。『ハヤトここにあり』ではないですけど、みちのくプロレスで育って、みちのくプロレスで生きてきた俺が自分の意志を持ってリングに上がる姿を見てもらいたいです。15年前の後楽園ホール大会とは打って変わって、15年たって自分が第1試合で戦うとは思っていなかったですけど、そういうのも含めて物語になると思います。だからこそ俺にとったら今回の試合は今後を左右するぐらい凄く大事です」

 ――15年間のプロキャリアの中でも今回の一戦は特別なんですね。
 「凄く大事な一戦です。今、神経にくっついている腫瘍も本当は取らないといけないのに、そこだけ手術をしないと決めたのはリングに戻るためです。待っているファンには申し訳ないけど、スポット参戦で試合をしながら腫瘍を取ってがんを倒せるならそこだけは許してほしいと思います。それが俺自身、一番望んでいることではあります。俺の格闘技へ対する思いとファイトスタイルと身体の現状が一致しなければプロレスラーを続けることは格闘技に申し訳ないです。そして格闘技を好きな人にも申し訳ないですし、仲間にも申し訳ないです。それは俺が去れば済むことです。なので、自分自身へのテストとして12月13日は凄く大事な日だと思っています」

 ――最後に約3年ぶりの戦いを楽しみにしているファンやこのインタビューを読んでくれているファンへメッセージをお願いします。
 「12月13日は、今までの格闘技人生の全てをぶつけたいと思っています。この状況の俺を知った上で見に来てくれる人がほぼ100%だと思います。それでも応援したいと思ってもらえるということは『ハヤトがあんな状況であれだけ戦えるなら自分もやれる!』と思ってもらえるような試合をしたいと思っています。ハヤトはハヤトなりの独特なペースと戦い方でみんなを盛り上げたいと思っています。ぜひ第1試合から超満員の後楽園ホールを見たいです。そしてメインイベントの“宇宙大戦争”に負けない試合をしたいと思っています。なので、その日の大会が終わった後に『第1試合がメインイベントだった』と思ってもらえるような試合を必ずするので応援よろしくお願いします」

 ◆フジタ“Jr”ハヤト(ふじた“じゅにあ”はやと)1986年(昭61)9月20日生まれ、東京都出身の33歳。2004年12月、中嶋勝彦戦でプロレスラーデビュー。08年12月東北ジュニアヘビー級王座を初戴冠。その後、新日本プロレス、プロレスリングZERO1などにも参戦。17年4月に左膝外側側副靭(じん)帯完全断裂、左膝内側側副靭帯部分断裂で長期欠場。18年11月に脊髄腫瘍髄内腫瘍上衣腫によるがんであることを公表。12月13日みちのくプロレス後楽園大会で約3年ぶりとなる1試合限定の復帰戦に臨む。

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