【駒田徳広 我が道14】一本足断念し荒川道場やめる 未熟だった当時は理解できなかった

[ 2026年5月15日 07:00 ]

一本足を断念する日がやってきた。左から荒川さん、私、末次コーチ、王監督
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 甲子園の阪神3連戦を終えた4月18日、宿舎の竹園旅館へ戻ってコーチの須藤豊さんと末次利光さんに「明日から2軍だ」と告げられた。突然の通告。これを機に、しっくりこない一本足打法をやめようと思った。

 「夜も寝ないで朝4時半まで日本刀を振った日もあります。上手になると思ってやってきましたが、結局2軍に行くってことは、この1年上手になってなかったということだと思うんです。であるならば、申し訳ないですけど、荒川(博)さんのところをやめて、自分なりにやりたいと思います」

 正直な気持ちを話すと、須藤さんは「コーチの中でも“これから先、駒田をどうしようか”という話は出ている。王監督に伝える」と言ってくださった。

 荒川さんの指導は後々ヒントになることがいっぱいあった。おかげで2000安打が打てたと思っている。ただ、未熟だった当時の私はちゃんと理解できなかった。

 翌19日、広島遠征に向かうチームを離れ、一人新幹線で東京へ戻った。20日から千葉県の木更津、鴨川と続く2軍の日本ハム2連戦。南房総の宿舎には温泉がある。私が苦しんでいたのを知っている前寮長で2軍担当の武宮敏明さんは「まあ温泉に漬かってゆっくりしろ」と送り出してくださった。

 20日の試合。全打席足を上げずに打った。取材に来ていた報知新聞の2軍担当記者に「なんで一本足で打たないの?」と聞かれ、正直に答えた。

 「一本足をやめて、もう一回自分なりにやろうと思っているんだ」

 それが翌日の紙面に載り、広島で読んだ王監督は激怒されたという。須藤さんが報告するタイミングを計っている間に、私がバラしてしまったのだ。

 1軍も2軍も試合がなく、多摩川で練習した23日。午前中の2軍練習を終えると、マネジャーから「外出しないで寮にいるように」と言われた。午後の1軍練習が終わったら、王監督が寮に来られるというのだ。

 どうしようと思った。寮の部屋は4階。飛び降りる勇気はないが、死にたいくらいの気持ちだった。王監督が到着されるまで凄く長く感じた。

 「あの判断はお前がしたのか?」

 「はい」

 「じゃあ、自分なりにしっかりやれよ。ただ荒川さんのところでやってたくらいの練習をしないと、練習が嫌でやめたんだなという判断になるぞ」

 私にとっては重くて苦しい言葉だった。一人であんな練習はできっこない。でも「はい」と答えるしかなかった。

 後で聞いた。王監督はその足で荒川さんの家へ「こちらからお願いしたのに、こんなことになってしまって申し訳ありません」と謝りに行かれたらしい。ただただ申し訳なかった。

 ◇駒田 徳広(こまだ・のりひろ)1962年(昭37)9月14日生まれ、奈良県三宅村(現三宅町)出身の63歳。桜井商から80年ドラフト2位で巨人入団。3年目の83年にプロ野球史上初となる初打席満塁本塁打の衝撃デビューを飾る。93年オフにFAで横浜(現DeNA)へ移籍。通算2006安打。満塁機は打率.332、200打点とよく打ち、満塁弾13本は歴代5位タイ。一塁手としてゴールデングラブ賞10回。

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