【内田雅也の追球】「誰かのために」の後継

[ 2026年1月18日 08:00 ]

神戸市長田区の真陽小で「夢授業」を行い、子供たちと記念撮影する高橋(中央)
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 神戸市長田区は阪神大震災でとりわけ大きな被害を受けた。大火に見舞われ、900人以上が犠牲になった。

 真陽小学校は避難所となった。校内で約3000人の被災者が暮らした。教室はもちろん廊下や階段まで人であふれた。

 31年を迎えた「1・17」の朝、阪神・高橋遥人がやって来た。真陽少年野球部の小学生32人への野球教室と「夢授業」で先生役を務めた。

 長田の地に立つタテジマのユニホーム姿に安達智次郎を思った。同じ阪神の左投手である。

 長田で生まれ育ち、村野工(現彩星工科)からドラフト1位で入団。震災はプロ2年目の終わり、成人式に出た2日後だった。

 鳴尾浜にあった独身寮「虎風荘」から自転車で長田に向かった。道中で倒壊した住宅から何人も救い出した。6時間かけて帰った。叔母や友人6人を亡くしていた。

 現役引退後、少年野球指導や神戸・三宮での焼酎バー経営のかたわら、「絶対に忘れたらあかん。風化させたらあかん」と復興に力を尽くした。「命の尊さを知った」と語っていた安達だが、肝臓を患い、2016年1月7日、この世を去った。41歳の若さだった。

 高橋はそんな安達の姿勢に感銘を受けていた。知人を通じ、3年前から長田の焼き肉店や焼き鳥店に通う。「長田出身で復興、町おこしにご尽力されていたと聞いています。熱い人なんだなって印象です。今回、こうして関われて光栄です」

 長田の人びとはもちろん、阪神の関係者やファンのなかで安達は生きている。快速球や復興活動に努めた姿は消えない。

 東日本大震災の被災者で、弟や妻を亡くした哀しみを抱く作家・伊集院静が『誰かを幸せにするために 大人の流儀8』(講談社)で書いていた。<人の死は(中略)生きている当人には逢(あ)えないが、その人は生き残った人たちの中で間違いなく生きている>。

 生き残った者には使命がある。<生き続ければ、それだけで誰かを救っているかもしれない>。それが<誰かを幸せにするために>である。

 震災の年、静岡に生まれた高橋は「今は関西で暮らし、ひとごとではない」と話した。「多くの人に応援して背中を押してもらい、いろんな人を元気にさせてあげられる職業はそんなにない。全力でやる義務がある」

 安達の精神はやはり生きていた。 =敬称略= (編集委員) 

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