宮本慎也氏が語ったアテネ五輪の舞台裏「君がそういうことすると、周りみんな緊張すんだよなぁ…」

[ 2025年11月3日 15:47 ]

宮本慎也氏
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 元ヤクルトヘッドコーチの宮本慎也氏(54)が1日に放送されたニッポン放送「ショウアップナイター60周年 名球会ラジオ」(土曜後5・20)にゲスト出演。主将も任された2004年アテネ五輪の舞台裏について語った。

 番組の進行役を務め、気心知れた仲でもある煙山光紀アナウンサー(63)から最初に輝かしい経歴を紹介された宮本氏。

 「他球団からも誘いはあったと思うんですけど…」と1994年当時にあった逆指名制度でヤクルト入りした経緯について聞かれると、「どうしてもショートがほしい、と。池山(隆寛)さんがFAで抜けるという情報のもと入ったらいたという。まあ、大嘘かまされて入ったっていう…とこですね」といきなり“鉄板ネタ”をかまして煙山アナを大笑いさせてのスタートとなった。

 そのなかで、2004年アテネ五輪の話になった。

 長嶋茂雄監督から主将に任命されて臨んだ大会。初めてプロ選手のみのメンバー編成で臨むこととなり、「実際にここまでプレッシャーかかるのかっていうのと、僕はアマチュア全部(大学、社会人)通ってるんで、オリンピック目指されてやられている選手っていうのはたくさん見てきているので、オールプロで行っていいのかっていうのがまずあったので。その人たちが納得するようなプレーをした上で勝たないといけないっていうのが、自分自身、そういうふうに強く思っていたので…」と当時の複雑な思いと強い責任感、重圧を打ち明けた。

 「もう相当プレッシャーかかったので…。やっぱ予選ですね、もう高橋由伸がですね、スイングルームでバスタオルかぶって集中しているわけですよ。君がそういうことすると、周りみんな緊張すんだよなぁ…って思いながら」と当時を回想しながら苦笑いの宮本氏。「僕もあれ見てね、ちょっとビビった記憶ありますけどもね」と懐かしそうに振り返っていた。

 宮本氏はPL学園、同志社大、プリンスホテルとアマチュア野球の王道を歩み、1994年ドラフト2位(逆指名)でヤクルト入り。2013年限りで現役引退するまで19年間にわたってチームひと筋にプレーした。通算2162試合に出場して2133安打を放ち、遊撃と三塁で計10度のゴールデングラブ賞を獲得。2018年から2年間ヘッドコーチも務めた。五輪には2004年アテネ、08年北京と2大会に出場し、ともに主将。06年の第1回WBC優勝メンバーでもある。

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