【藤川阪神の強さ】矢野燿大氏が語る 屈辱を成長の糧にしてきた火の玉伝説 ゴールは、ここじゃない

[ 2025年9月9日 05:15 ]

最後を締め阪神の矢野輝弘(矢野燿大)捕手(左)とがっちり握手する阪神4番手の藤川球児投手。

 球団初めて就任1年目でリーグ優勝へと導いた藤川球児監督(45)はこれまでどんな野球人生を送ってきたのか。関わりの深い恩師や先輩、同僚たちが語る企画「藤川阪神の強さ」。第1回は現役時代に長年バッテリーを組んでいたスポニチ評論家の矢野燿大氏(56)が火の玉のルーツを探り、クライマックスシリーズ(CS)、日本シリーズを戦うチームにエールを送った。

 藤川球児のボールを、最も受けてきたと自負している。多くのファンの方が知っているのは「(最強救援トリオ)JFK」の「F」の時代からだと思うが、私は真っすぐがまだ火の玉ではない時からバッテリーを組んでいたので、甲子園球場で阪神の監督として胴上げされたシーンは本当に感慨深かった。

 若い頃は、日本を代表する投手になるとは正直、想像できなかった。きれいな投球フォームできれいな回転の真っすぐを投げていた。しかし当時は、それが弱点にもなって、バットに当てられたらよく飛ばされていた。フィールディングは良くて、器用さやセンスの良さは感じていたが、最初から超一流だったのではなく、悔しさも失敗も何度も経験して、それらを乗り越えて一歩ずつ成長してきたのだと思う。

 03年4月11日の巨人戦で6点差から追いつかれた試合をやっぱり強烈に記憶している。9回2死一、三塁、2ストライクで球児がリリーフ登板して仁志敏久に中前適時打を浴び、代打・後藤孝志にフォークを同点3ランされた。

 05年4月21日の巨人戦ではフォークボールで空振り三振を奪った清原和博さんから「ケツの穴が小さい、チ○ポコついとんのか」と言われたのも忘れられない。どちらもサインを出したのは捕手の私だが、球児はそれらもすべて成長の糧にしてきた。どんなピンチでもサインを出されて、力でネジ伏せられるストレートが必要――。火の玉伝説は多くの屈辱からスタートした。

 監督としては1年目からリーグ優勝したが、現役時代の最後にMLBから独立リーグまで振り幅の大きい野球人生を送ってきたことが生かされているのだと思う。苦しんでいる選手も、勢いのある選手も、見て、接して、そこで吸収したことを今、チームのマネジメントに反映させている。選手時代と同様の成長曲線。常に自分自身を高め続けている。監督・藤川球児のゴールも、まだここじゃないと思っている。(スポニチ評論家)
(随時掲載)

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