【内田雅也の追球】心の支えと希望の光

[ 2025年8月8日 08:00 ]

セ・リーグ   阪神3―8中日 ( 2025年8月7日    バンテリンD )

<中・神>5回、申告敬遠する藤川監督(撮影・椎名 航)
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 兵庫県西脇市出身のミコは阪神ファンだった。大阪・中之島にあった阪大病院(大阪大学医学部付属病院)に入院していた。恋人となるマコと出会った。ラジオを持って屋上に上がり、阪神戦の中継を聴きながら語り合った。1962(昭和37)年のことである。

 ベストセラーになり、映画にもなった『愛と死をみつめて』である。

 ミコこと大島みち子は同志社大に入学後、軟骨肉腫におかされた。

 闘病の間、快進撃を続ける阪神は心の支えになっていた。ミコの日記『KIROKU』は『若きいのちの日記』(大和書房)で読める。よく阪神が登場する。<8月15日 三宅のスリーランで阪神4対2と逆転勝ち。4ゲーム差に開いたのでちょっと安心。わたしの病気もきょうの阪神のようにいかないものか>

 <9月2日 阪神、二十安打の馬鹿(ばか)当たりで中日を大破。大洋負けて4ゲーム差。千羽鶴を折る必要なしか>

 何度も手術を繰り返し、この年11月には顔の左半分を切り取ることになる。絶望のなかに希望を見いだそうとしていた。阪神はその光だった。

 首位独走の今季も多くの人びとが希望や心の支えにしていよう。

 もちろん、この夜のように負けることもある。何かおかしかった。坂本誠志郎が珍しく捕逸した。2個もあった。しかも2度とも捕逸の直後にボテボテの不運なゴロが転がり、野選と内野安打で失点を重ねた。

 それでもたとえば、5番に抜てきされた中川勇斗が放ったプロ初本塁打や佐藤輝明のものすごいライナーの中越え29号に光を見たことだろう。

 「シーズンは長いですからね」と敗戦後、監督・藤川球児は言った。「全員で戦っていく。また明日あさってと久しぶりのホーム(京セラ)ですからね」。すでに切り替え、前を向いていた。

 あの年、阪神は2リーグ制で初めてとなる優勝を果たした。<10月3日 ついに阪神優勝。また張りが一つなくなった。わたし自身に対する口実も一つ減った>

 優勝はその瞬間ではなく、優勝に向けて戦う日々が希望なのだろう。

 暦の上では立秋だった。まだ猛暑酷暑の真夏だが、歓喜の秋は近づいている。猛虎たちは希望の存在でありたい。

 この日は63年に21歳で永眠したミコの命日だった。 =敬称略= (編集委員)

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