【甲子園】新潟・中越の広川 “甲子園3兄弟”の末弟は最後の夏に記録員として仲間たちを援護する

[ 2025年8月7日 05:00 ]

新潟大会優勝時、記念写真に納まる広川3兄弟。(左から)俊也さん、悠人、健介さん(本人提供)
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 サッカー、野球、バスケットボール、陸上…。新潟のアスリートたちが脚光を浴びるその裏には、必ず活躍を支える存在がある。そんな裏方にスポットを当てるスポニチ新潟版の企画「裏方のチカラ」の今回は、今夏に7年ぶり12度目の甲子園出場を果たした中越の広川悠人(3年)だ。メンバー入りを果たすことはできなかったが、最後の夏は記録員としてナインを援護する。

 新潟大会を制した4日後、7月30日の県庁表敬訪問。選手紹介で本田仁哉監督から「背番号21、広川悠人」と呼ばれ、勢いよく返事をした。背番号をもらい、ベンチに入れるのは20人。そこから漏れた3年生は一足先に夏が終わる。それでもチームに貢献する形はさまざま。役割は記録員だが、ひたむきに野球と向き合い、努力を続けた広川に対し、指揮官は“背番号”を与えた。

 「選手としてではないけど、監督さんは自分のことを戦力として見てくれているのかな」という広川は、“甲子園3兄弟”だ。長男・健介さん(27)は16年、次男・俊也さん(24)は18年にそれぞれ中越の一員として甲子園に出場している。「グレーのユニホームを着て、甲子園に行く。そこに迷いはなかった」。かっこいい兄たちの背中を追いかけるように同じ門を叩いた。

 兄たちと同じ野球漬けの日々を送っていたが、昨年8月にアクシデントに見舞われる。自打球が右膝に当たり、膝の皿が割れる大ケガを負った。約3カ月後の11月に復帰して冬のトレーニングには参加できたが、調子が上がらず今春はベンチ外。今夏の新潟大会もメンバー入りはかなわなかった。それでも記録員としてベンチ入り。苦楽を共にした仲間のプレーをスコアブックに刻み、7年ぶり12度目の優勝を近くで見届けた。腐らずやり続け「俺の支えがあったから優勝できた」と冗談交じりに胸を張る。

 関西入り後の練習でも、球出しにノッカーなど練習をサポートしている。裏方とは何か――。そんな問いに「メンバーに入れなくて腐ってしまう人も中にはいると思う。それでも誰かのサポートがないと、スポーツは成り立たない。自分が悪い雰囲気を持ち込んでは駄目。選手が力を発揮できるように、自分はしっかりしていたい」と真っすぐな視線で言った。

 兄2人はともに初戦サヨナラ負けで甲子園を去った。「その連鎖、僕で止めてみせます」。初戦は12日で、相手は昨夏準Vの強豪・関東第一(東東京)。広川は、仲間とともに、“最前線”で戦う。
(大島 享也)

 ◇広川 悠人(ひろかわ・ゆうと)2007年(平19)6月25日生まれ、長岡市出身の18歳。希望が丘小1年から日越ブルースカイで野球を始める。長岡西中では長岡東シニアに所属。ポジションは一塁。1メートル71、67キロ。左投げ左打ち。

 ○…1日に新潟から関西入りして調整を続けてきた中越ナインは、6日は静養に努めた。5日に甲子園が開幕したが、関東第一との初戦は12日。本田監督は期間が空いたことについて「私も選手も良い意味で、ここ(関西)での生活と練習が凄く新鮮で、リフレッシュしながらできている。待たされている感覚はない」と前向きに捉えている。心身ともにリフレッシュし、7日から練習を再開する。

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