伝説の「10・8決戦」 先発の槙原寛己氏が当時の長嶋さんを振り返る「あの勇ましさは忘れられない」

[ 2025年6月4日 05:31 ]

長嶋茂雄氏との思い出を話す槙原寛己氏(撮影・沢田 明徳)
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 プロ野球の巨人の三塁手として活躍し、引退後は巨人の監督を2期15年にわたって務めた巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄(ながしま・しげお)さんが3日午前6時39分、都内の病院で肺炎のため死去したと読売新聞グループ本社、読売巨人軍などが発表した。89歳だった。葬儀・告別式は近親者のみで執り行う。喪主は次女・三奈(みな)氏。後日、お別れの会を開くという。

 長嶋さんの監督生活でのハイライトともいえるのが、伝説の「10・8決戦」だ。94年10月8日。69勝60敗で並んだ巨人と中日が、「勝ったチームが優勝」というシーズン最終戦で雌雄を決した。敵地ナゴヤ球場に乗り込んだ長嶋さんは自ら「国民的行事」と呼び、日本中のファンが勝敗の行方を見守った。

 その試合で先発マウンドに上がった槙原寛己氏(61=スポニチ本紙評論家)は、前日に長嶋監督に呼ばれ「しびれる試合だ。明日、お前でいくぞ」と伝えられたという。

 さらに「後ろには斎藤と桑田。この2人しか明日は使わない。この3人で1年戦ってきた。お前らで完結させる」とのプランを明かされた。これを聞いた槙原氏は「後ろにあの2人がいると思ったら、僕はちょっと安心しました。前日からゲームプランはしっかりできていたんだな、というのも驚きでした」と振り返る。

 現在も語り草になっているのは試合当日、球場に出発する前に宿舎で行われた最後のミーティングだ。

 長嶋監督は「責任は全部俺が取る。お前らは何も考えなくていい」と繰り返した。それを聞いた槙原氏は「多分、負けたら(監督を)辞める気だったんだと思う」という。

 そしてミスターは「俺たちは勝つ!勝つ!勝~つ!」と熱く叫んでナインを鼓舞。その場にいた全員が武者震いするような勢いで、槙原氏も「あの勇ましさは忘れられない。(選手も)一丸となってすごい大きい声を出していた。僕もすごい勇気をもらって球場に向かったのを覚えています」と振り返った。

 試合では槙原氏は2回途中で降板も、長嶋監督の宣言通りに斎藤雅樹、桑田真澄の3本柱のリレーで勝利。

 長嶋さんが、球界に新たな歴史を刻んだ1日だった。
 

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