長嶋茂雄さんがプロ野球80周年で語った思い① 天覧試合、国民的行事、野球を一番にするために必要なもの

[ 2025年6月3日 09:53 ]

巨人・阪神天覧試合でサヨナラホームランを放った長嶋茂雄さん(1959年6月25日撮影)
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 長嶋茂雄氏は、2014年4月にプロ野球80周年企画として、本紙の独占インタビューに応じている。伝説の天覧試合でのサヨナラ本塁打、「国民的行事」と言われた10・8決戦では何を思い、何を感じたのか。そして日本球界の未来への提言、愛弟子である松井秀喜氏について。長嶋氏の野球への思いを、振り返る。

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 ――80周年を迎えたプロ野球で、長嶋さんの功績の大きさは計り知れません。ご自身にとってのベストゲームは?
 「功績というのは、そんなにはありませんよ。昭和33年(1958年)の入団ですから、プロ野球に入って、まあ50年くらいかですか。その中でいろいろあったにせよ、昭和34年6月25日のホームランの、あの試合は最高の試合だったと思いますよ。今でもあの試合に関わることは9割以上は覚えてます」

 ――日本プロ野球ただ一度の天覧試合でサヨナラアーチを放った。
 「どういうふうに表現したらいいのか。なんと言っても昭和天皇は私にとって神様でしたから。昭和天皇への思いが野球をやっていて自分の中にあるんでしょうね。あのホームランはずっと心の中に持ってきました。忘れるわけがない」

 ――あの日、両陛下は午後9時15分にご退席の予定で、運命の一発はその3分前だった。
 「ええ、陛下が帰られる3分前だったということは後から聞いたんですけどね。偶然にせよ、あと3分(でご退席)というところで私が打ったことで、何とも忘れ得ぬ試合になりましたね」

 ――今でもあの瞬間のことは覚えている?
 「もちろん。あのときは“打ちたい”“何とか打ちたい“という思いが強くて。村山実投手の高めのインコースを打ってね。何とも言えない感じだったな。一塁から二塁、二塁から三塁を回ってくるでしょ。そして三塁からホームへ行くとき、自然にね、ふっと見上げた正面に陛下の姿が見えるんですよ。そうしてね、ちょうど陛下が身を乗り出すようにしてましてね。隣の、ご説明役だったパ・リーグの中沢(不二雄氏=当時のパ・リーグ会長)さんに陛下が「どのようにして打ったのか」というようなことを聞いているように見えましたね」

 ――球界初の天覧試合へ臨むに当たって胸の高鳴りはあった?
 「陛下がご観戦に来られるという話は、私は宮崎キャンプのあたりから聞いてました。それで2月、3月、4月、5月、6月と日にちが迫ってくるにつれ、いよいよ陛下が来られるのか。“打ちたいなあ”“打ってみたいなあ”と。ところがですよ、その試合まで約3週間、私は当たりが全然出なかった。“陛下の前で打ちたい”。巨人も阪神の選手も皆そう思ってました。前の日は寝たのが2時か3時。今も忘れません。床の間にバット3本置いて寝て、どれを持っていこうか、と。で、一本、真ん中のバットを持っていって打った。なぜ真ん中だったのか訳はないんですが、感じが良さそうなのをね」

 ――劇的な幕切れとなって天覧試合がより特別なものになった?
 「あの試合が終わってからというもの、2カ月、3カ月たっても選手たちはセ・リーグもパ・リーグも、誰も試合のことを忘れません。私だけではなく、阪神の選手も、巨人の選手も、内容から言ったらもうみんながこれ以上ない素晴らしいプレーをした。今まで振り返ってみても、あれ以上の試合はないというくらいいい試合ができた。王さん(貞治氏=現ソフトバンク球団会長)も打って(ON初アベックアーチとなり)いろんな意味でプロ野球を大きく変えてきた。忘れようにも忘れられません」

 ――日本野球のベストゲームとも言える天覧試合が球史を変えた。
 「80年という日本野球史で、あの試合は何を置いてもいの一番に出てくる試合。当時、野球は『野球』としか呼ばなかったけれど、あの試合から日にちがたつに連れて野球を『ベースボール』と呼ぶことが多くなった。アメリカにおけるベースボールと同じで、野球は『日本のベースボール』というふうに。(人気スポーツとして)認められたというか、プレーヤーをはじめ監督、コーチ、関係者の皆さんが“日本の野球がいよいよ二歩も三歩も上がった”という感じを持った。当時は東京六大学野球が最も人気があった。でも、それからプロ野球の方が人気スポーツになった」

 ――昭和天皇は7年後の66年の日米野球もご観戦。そのときもホームランを打っている。
 「陛下には、天覧試合の6年後(65年)に目黒のパーティーでお会いしましてね。“あのホームランは良かったですね”と言っていただいた。ああ、あれから6年もたっているのにまだお忘れになってないんだ、と思いましてね。ぐっときたのを覚えています。日米野球はその翌年、ドジャースが相手。ホームランはたまたまでしょうけど、よく打ちましたねえ」

 ――天覧試合を機に国民的人気スポーツへ上り詰めたプロ野球。長嶋さんは監督として「国民的行事」といわれた10・8も経験した。
 「監督として最も印象に残っているのは、名古屋での10・8(94年、中日との最終戦決戦)。あのときはテレビ視聴率が5割弱(プロ野球中継史上最高の48・8%)という試合。もう最後でね、やろうじゃないかという思いで“勝つ!勝つ!勝つ!”と言ってベンチへ出て、選手の顔を見て“これは勝てる”と確信したのを覚えてます」

 ――80周年を迎えたプロ野球を振り返り、あらためて感じることは?
 「何と言っても、日本で野球が一番であるんだという思いを私はずっと持ってきました。だから野球を続ける中で将来野球を一番にするにはどうしたらいいのか、ということは常に頭の中にありましたね。これはもう選手全員持ってました。そういう人たちの思いがプロ野球を発展させてきたんだと思います」

 ――長嶋さんが考える野球を一番にするために必要なものとは?
 「私は“野球の素晴らしさをファンに見てもらいたい”という思いを立大2年のころから持っていました。野球は見てもらうということが大事な要素。ファンあってのプロ野球、学生野球です。そういうものを持ち続けないといけない。ファンが一番。二番、三番はありません。今でもその気持ちは変わりません」

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