上沢がレイズとマイナー契約 他球団のメジャー契約オファー断り選んだ「投手育成に定評ある強豪」

[ 2024年1月13日 02:30 ]

レイズの公式SNSが投稿した上沢の画像(球団SNSから)

 日本ハムからポスティングシステムでメジャー移籍を目指していた上沢直之投手(29)が11日(日本時間12日)、レイズとマイナー契約を結んだ。45日間の交渉期間の最終日だった同日、レイズが発表した。2月のメジャーキャンプに招待選手として参加し、メジャー昇格の際には年俸250万ドル(約3億6300万円)となるスプリット契約。メジャー契約の提示もあったが、育成に定評があり、5年連続ポストシーズン進出中の強豪を新天地に決断した。

 期限ぎりぎり、駆け込みで上沢の新天地が決まった。ポスティングシステムでの交渉期限は、米東部時間11日午後5時(日本時間12日午前7時)。その時刻を迎えても、アナウンスはない。期限4時間後の同11日午後9時、レイズがマイナー契約締結を発表した。

 「レイズの一員になれて興奮しているし感謝します。投手育成の豊かな歴史と、球団の成功に感銘を受けて、レイズを選びました」

 上沢は球団を通じて決断の理由を語った。近い関係者によると、パドレス、オリオールズなども獲得に動き、中にはメジャー契約のオファーもあったという。それでも、昇格できなければ金額は数千万円程度に収まるリスクもあるスプリット契約を選択。「投手育成の実績と、勝利の伝統。また、早くから声をかけてくれたのも大きかった」と同関係者は説明した。メジャー昇格の際の条件も定められ、昇格時は年俸250万ドルとなり、出来高を含めれば最大350万ドル(約5億円)になるという。

 低予算ながら若手の発掘や育成に定評があり、特に投手は近年の活躍がめざましい。昨季チーム防御率3.86はリーグ3位で、チーム被打率・231は同トップ。一方で昨季10勝のグラスノーはドジャースへ移籍し、3年連続2桁勝利のマクラナハン、22年11勝のラスムセン、同9勝のスプリングスら主力先発投手は肘の手術で離脱中で、今季は投げられない公算が大きい。計算が立つのは昨季リーグ最多16勝のエフリンぐらいで、昨季はオリックス・山本を上回りリーグ最多170回を投げた上沢が割って入る可能性は十分ある。

 メジャー挑戦表明時からマイナー契約でも受け入れ、昇格を目指す覚悟を示してきた。8月23~25日(同24~26日)には敵地でドジャース3連戦が組まれ、1学年下で仲の良い大谷と待望する対戦のチャンスも待つ。ただ夢を追うだけでなく、より投手として成長し高みを求めて。北の大地から、南国フロリダへ。米の下克上球団で成り上がりを目指す。

 ≪ポスティングでマイナー契約は3人目≫過去にポスティングシステムを申請してマイナー契約を結んだ日本選手は04年オフの中村紀洋(ドジャース)、「25歳ルール」があった17年オフの大谷翔平(エンゼルス)の2人のみ。FAなどでマイナー契約で渡米し、メジャー昇格して活躍した選手は多い。大家は98年オフにレッドソックスとマイナー契約。メジャー通算51勝を挙げた。斎藤隆は05年オフにド軍と契約し、7年で338試合に登板。09年オフにメッツと契約した高橋尚成は10年にメジャーで10勝した。桑田真澄(パイレーツ)、高橋建(メッツ)、川崎宗則(マリナーズ)らもマイナースタート組だ。

 ≪日本ハム・新庄監督「この男は本当にカッコいい」≫日本ハムの新庄監督がSNSでエールを送った。直前には残留を熱望もしていたが、「マイナー契約ならあれほど行くなって言ってたのに。挑戦し続けるこの男は本当にカッコいい」と言及。自身も00年オフに阪神からFA権を行使し、メッツと当時のメジャー最低年俸の20万ドル(当時約2200万円)で挑戦した。「マイナーからはい上がってメジャーで投げる日は簡単ではないと思うが、その日が来た時の感動は計り知れない。皆さん、彼ならやってくれます!!」などと投稿した。

 ▽タンパベイ・レイズ 98年の球団拡張でデビルレイズとして誕生。球団名をレイズに変更した08年に岩村明憲らの活躍で初のリーグ優勝。低予算ながらもデータに基づいた独自戦術で強化の土台を築き、19年から5年連続でポストシーズン進出中で、20年に08年以来2度目のワールドシリーズ進出を果たした。本拠地はフロリダ州セントピーターズバーグのトロピカーナ・フィールド。過去には岩村の他、野茂英雄(05年)、森慎二(06年)、松井秀喜(12年)、筒香嘉智(20~21年)も在籍。

 ◇上沢 直之(うわさわ・なおゆき)1994年(平6)2月6日生まれ、千葉県出身の29歳。専大松戸では甲子園出場なし。11年ドラフト6位で日本ハムに入団。14年4月2日のソフトバンク戦でプロ初登板初勝利をマーク。19、21年に開幕投手。19年6月に打球を受けて左膝を骨折したが20年に復帰し、21年に自己最多の12勝を挙げた。球宴出場3度。1メートル87、88キロ。右投げ右打ち。

続きを表示

「始球式」特集記事

「落合博満」特集記事

2024年1月13日のニュース