ロッテ吉井監督も心痛める母校の窮状 公立校唯一の春夏連覇の箕島野球部員はわずか12人

[ 2024年1月11日 07:15 ]

故郷・和歌山県有田市でトークショーを行ったロッテ・吉井監督
Photo By スポニチ

 昨年12月17日、ロッテ・吉井理人監督が地元の和歌山県有田市で開催したトークショーを取材した。これまで出張で全国各地に足を運んできたが、実は和歌山を訪れるのは人生で初めて。有名なみかんの産地だけに、勝手に暖かいと思い込んでいたが、当日は予想外に寒かった。

 ただ、トークショーの会場は、郷里が生んだヒーローを温かく迎える地元の人たちや、遠方から駆けつけたファンの熱気にあふれていた。吉井監督もリラックスした様子で普段以上に冗舌だったように感じた。少年時代を知る友人や知人も来場していたためか、少し照れくさそうではあったが、少年時代、箕島高からプロ入り、そしてメジャー移籍、さらに指導者としての道を歩む現在まで、笑いを交えながら語った。

 米国では開幕直前に戦力外通告を受ける想定外の出来事も経験。「アメリカに行ってから人生観が変わった。異国での生活するってことは本当に人を大きくするなと思った」と話す指揮官の原点は箕島高時代の恩師である故尾藤公監督の教え。「何せい、あれせい、これせいと指示されなかったので、何でも自分で問題を解決していかなくちゃいけなかった。コーチになって気付いたんですけど、あのころの指導が今に生きているんだと思います」と振り返った。

 トークショー前にはその箕島高を「何年ぶりか分からないぐらい久しぶり」に訪問。吉井監督が心を痛めたのは3年生が引退し、現在の野球部員が12人しかいないという母校の窮状だった。箕島といえば、春夏合わせて17度、甲子園に出場し、春3回、夏1回優勝、1979年には公立校として唯一の春夏連覇を果たしている。当時、福島県で中学生だった自分でさえ、その名前を知っていた全国屈指の強豪校だ。13年夏を最後に甲子園から遠ざかっているとはいえ、そこまで部員が減っているとは想像していなかった。現在はOB会などが協力しながら部員集めに尽力している。吉井監督は「野球人口が減っているし、子供そのものの数も減っているから」と現状を憂い「何とかOB会に頑張ってもらって…」と母校野球部の“復活”を願った。

 昨年は侍ジャパンの投手コーチとしてWBC優勝に貢献し、ロッテの監督としてもチームを前年5位から2位に躍進させた。「幕張の奇跡」と呼ばれるCSファーストステージ最終戦に代表されるような劇的な勝ち方も多いのが、吉井ロッテの特徴でもある。吉井監督は常々「主役は選手」と言っているが、今年もどんどん勝っていけば、指揮官の母校にも再びスポットが当たるかもしれない。それが部員増の一助になったら…。紀州路の列車に揺られながら、そんな思いが頭をよぎった。(ロッテ担当・大内 辰祐)

続きを表示

「始球式」特集記事

「落合博満」特集記事

2024年1月11日のニュース