村田兆治さん死去…不屈の「サンデー兆治」215勝 タブーの肘手術から劇的復活 誇りの最多暴投148

[ 2022年11月12日 05:16 ]

村田兆治さん死去

村田兆治氏の豪快なマサカリ投法
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 村田氏の座右の銘は「人生先発完投」。まさか、こんな形で人生に幕を下ろしてしまうとは誰が想像しただろう。挫折と栄光に彩られたプロ野球人生。ファンの記憶に残る偉大な投手だった。

 マサカリ投法――。左足を高くはね上げ、右腕を上から振り下ろす独特で豪快なフォーム。直球とフォークだけで荒武者ぞろいのパ・リーグを生き抜いた。投手人生を語る上で欠かせないのが右肘の手術だ。投手の肘にメスを入れるのがタブー視された時代。32歳で故障すると座禅を組み、滝に打たれる荒行も行った。さまざまな治療法を試みた末、83年に当時はまだ珍しかった右肘のじん帯再建手術(通称トミー・ジョン手術)を米国で受けた。

 先駆けは反発を受ける。手術に批判的な声も多く、ロッテ球団からは「失敗したら引退する」との一筆を書かされた。日本では再起不能とされた故障から、強固な意志で逆風や厳しいリハビリに耐えてマウンドに戻る。35歳だった85年4月14日の西武戦で3年ぶりの白星。100球を超えて右手がしびれ始めたが、稲尾和久監督がマウンドへ来ても「3年も辛抱した。この試合を俺にくれ」。絶対にボールを渡さず、155球を投げ完投した。

 85年は主に日曜日ごとに先発。17勝を挙げ「サンデー兆治」の愛称が定着した。40歳で臨んだ90年も10勝をマーク。手術から前例のない劇的な復活劇は、後に続く投手に大きな勇気を与えた。今では手術は有効な治療法として認識されている。

 引退後、66歳だった16年の始球式では130キロ超の直球を投じファンを驚かせた。現役時代から自らに厳しい練習を課し、引退後もトレーニングを続けた。不器用で、武骨で、一本気で。誰もが「頑固」だと口をそろえた。人さし指と中指の間にナイフで切り込みを入れ、フォークを投げ続けた末の通算暴投数はプロ野球歴代最多の148。当時捕手の袴田英利にノーサインで投げていたためだ。この数字も、村田氏にとっては誇りだった。

 《村田氏の記録アラカルト》

 ★わずか13人 村田氏は球団投手最長の実働22年のプロ生活で歴代17位の215勝、同10位の2363奪三振をマーク。200勝と2000奪三振のダブル達成は史上13人しかいない記録だ。また、前記2項目を含め通算成績のほとんどがロッテの個人通算最多記録となっている。

 ★落差の証 79年6月8日近鉄戦では球団新記録の16奪三振を達成。鋭いフォークを決め球に多くの三振を奪った一方で、大きな落差ゆえに暴投も多かった。通算148暴投は石井一久(西)の115を抑えるプロ野球記録。90年のシーズン17暴投は当時の最多記録(現在は3位)で、87年のイニング3暴投は現在でもプロ野球タイ記録。

 ★サンデー兆治 右肘手術から復帰2年目の85年には4月14日西武戦から7月7日南海戦まで当時のリーグタイ記録となる開幕11戦11連勝の快挙。11連勝のうち8勝が日曜日だったことからサンデー兆治と呼ばれた。

 ★球団2位の27度 ゲーム2桁奪三振は78年の6度を筆頭に通算27度マーク。ロッテでは伊良部秀輝(36度)に抜かれるまで小野正一に並ぶ最多タイ記録だった。

 ★不惑初の快挙 40歳4カ月で迎えた90年の開幕戦(4月8日オリックス戦)で11奪三振の完投勝利を挙げ、史上初となる40代での2桁奪三振を達成。さらに、8月24日の西武戦でも生涯最後の2桁奪三振となる10Kで1―0完封の快投。当時の年齢は40歳8カ月で、パの最年長2桁奪三振記録として現在も破られていない。

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2022年11月12日のニュース