旅は終わらず 高津 BC新潟入り“名球会”選手で初!

[ 2011年1月24日 10:00 ]

BCリーグの新潟アルビレックス・ベースボールクラブに入団することになった元ヤクルトの高津

 通算286セーブのプロ野球記録を持つ元ヤクルトの高津臣吾投手(42)がBCリーグの新潟アルビレックス・ベースボールクラブに入団することが23日、分かった。名球会入りしている選手が日本の独立リーグでプレーするのは初めて。今週中に入団会見を行う。昨季は台湾の興農でプレーし、史上初めて日米韓台の4つのプロリーグでセーブをマーク。今なお現役にこだわる男が新潟の熱意に打たれ、4年ぶりに日本復帰を果たす。

 プロ生活21年目。高津が新たな舞台に選んだのは、日本の独立リーグだった。21日に新潟と最終交渉を行い、1年契約で合意した。過去には、ロッテ、ヤンキースなどで活躍した伊良部秀輝が09年に四国・九州アイランドリーグの高知と契約し、2試合に登板したことがあるが、名球会の選手が日本の独立リーグでプレーするのは初めてだ。

 悩んだ末の決断。新潟の選手の平均年齢は23歳で、ほとんどが日本プロ野球組織(NPB)を目指す若者だ。42歳の高津は「若い人のためにあるリーグなので、僕が入っていいのか真剣に考えた。でも、若い選手に投げる姿勢を見せてほしいと言われ、役に立てればと思った」と話す。

 ヤクルト時代はセーブ王を4度獲得し、日本一を4度経験。04年には海を渡り、ホワイトソックスでは「ミスターゼロ」の愛称で活躍した。さらに韓国、台湾と渡り歩き、4年ぶりに日本に戻ってくる。「また新しい環境で野球ができる。久しぶりの日本なので自分のためにも頑張りたい」。高津の旅はまだまだ終わらない。

 ◆高津の野球人生
 ☆ヤクルト黄金時代(91~03年) 最優秀救援投手に4度輝くなど計260セーブ。佐々木主浩の持つ通算229セーブのプロ野球記録を更新。

 ☆大リーグ時代(04~05年) ホワイトソックスにFA移籍。1年目からクローザーとして活躍。05年途中に戦力外通告を受けた後、メッツに移籍した。

 ☆ヤクルト復帰(06~07年) 入団テストを経て3年ぶりに古巣復帰。2年間で26セーブを挙げるも、07年終了後に自由契約となる。

 ☆韓国球界入り(08年) 大リーグ再挑戦でカブスとマイナー契約も戦力外。6月に韓国・ヒーローズに入団し、8セーブを挙げた。

 ☆3度目の大リーグ挑戦(09年) 5月にロサンゼルス郊外でトライアウト受験。ジャイアンツとマイナー契約も、3A止まり。

 ☆台湾球界入り(10年) 興農ブルズと契約。守護神として前期優勝の胴上げ投手に。計26セーブを挙げたが、11月に退団。

 ◆高津 臣吾(たかつ・しんご)1968年(昭43)11月25日、広島県生まれの42歳。亜大から90年ドラフト3位でヤクルト入団。04年にFAでホワイトソックス移籍。その後メッツを経て、06年ヤクルト復帰。08年は韓国ヒーローズに所属した後、09年はメジャーに再挑戦し、ジャイアンツ傘下の3Aでプレー。昨季は台湾の興農ブルズで前期優勝に貢献。日本通算286セーブはプロ野球記録。1メートル80、73キロ、右投げ右打ち。

 ◆BCリーグ 正式名称はベースボール・チャレンジ・リーグ。06年に設立し、07年がリーグ初年度。現在は群馬、新潟、長野、富山、石川、福井の6県にそれぞれ球団法人を設立し、6球団によるリーグ戦を実施。2地区制、前後期制で、各球団ともに年間72試合を4月中旬から10月下旬まで行う。リーグ戦後にはプレーオフを開催し、優勝チームは四国・九州アイランドリーグの覇者とグランドチャンピオンシップ(5回戦制)で対戦する。選手の年俸は月給プラス活躍で応じた奨学金で、月15万~40万円。 

 ◆新潟アルビレックス・ベースボールクラブ(BC) 新潟にアルビレックスという総合スポーツクラブを作る目的で、サッカー、バスケットボールなどに続き野球の球団名もアルビレックスに。本拠地球場はハードオフエコ新潟で収容3万人。上信越地区所属で、地区優勝1回。昨季は前期3位、後期2位で、通期28勝38敗6分けの2位。プロを経て入団した選手は元広島の青木智史外野手(08~10年)元ヤクルトの伊藤秀範投手(09年)。

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