ブランド独走初出場V、オセアニア勢&レフティー大会初制覇

[ 2015年5月18日 05:30 ]

ツアー初優勝を決め、笑顔でポーズをとるブランド

男子ゴルフツアー 日本プロゴルフ選手権日清カップヌードル杯最終日

(5月17日 埼玉県熊谷市 太平洋クラブ江南=7053ヤード、パー71)
 難なく逃げ切った。首位から出た日本ツアー2年目のアダム・ブランド(32=オーストラリア)が3バーディー、4ボギーの72とスコアを落としたものの、通算16アンダーの268で大会初出場にして初優勝を飾った。開幕戦から外国人選手が3大会連続で優勝したのは95年以来2度目で、73年のツアー制度施行後、最多タイ記録となった。
【最終R成績】

 オーストラリアからやってきた32歳が歴史をつくり上げた。ブランドは「とてもうれしい。今までの努力が報われた」と大喜び。大会初出場での初優勝は73年のツアー制度施行後では4人目の快挙で、オセアニア出身者、そしてレフティーの優勝は大会初。「最高の気分だよ」と満面の笑みで優勝トロフィーを掲げた。

 大会会長を務める日本プロゴルフ協会の倉本昌弘会長は首位のブランドが独走しないよう、最終日はレフティーに厳しいピンポジションを設定。だが、当の本人は「攻めにくいということはなかった」と涼しい顔。左打ちのドローヒッターには攻めにくいグリーン左端にピンを配置した4番でボギーが先行も、5番で第2打をピン手前1メートルにつけてミスを取り戻した。7番でも左ラフからの第2打を1メートルにつけてバーディー。ピン位置が厳しかったインは17、18番で連続ボギーだったが、それでも2位に3打差をつけての圧勝だった。

 今季開幕戦はパットの不振で予選落ち。その後、オーストラリアに戻って1日6、7時間もパターを振り続けた。地元のプロ仲間から「肩が揺れている」と指摘され、右肩を動かさぬよう意識すると復調した。

 利き手は右で、14歳でゴルフを始めた当初は右打ちだったが「打ってみるとしっくりきた」とほどなく左に変えた。07年にカナダツアーで2勝を挙げ、09年から3年間は米下部ツアーに戦いの場を移して米ツアー昇格への道を模索した。しかし、結果が伴わず「コースに行きたくないくらい悩んだ」という。12年からはスポーツ心理学者の指導の下、メンタル強化に取り組み、14年から日本ツアーに本格参戦。努力が花開いた。

 この勝利で5年のシードを獲得。「しばらくは日本でプレーすることを考えている。日本の環境が好きだし、コースは自分に合っているから」。日本人選手にとって強力なライバルとなりそうだ。

 ◆アダム・ブランド 1982年8月26日生まれ、オーストラリア出身の32歳。幼少期はテニスをしていたが、コーチとケンカをして辞め、14歳からゴルフを始めた。現在は日本ツアーのシード選手で唯一のレフティー。日本ツアーデビュー戦は13年のミズノ・オープン。14年から本格参戦し、賞金ランク38位でシード権を獲得。家族は妻と4歳の長女と7カ月の長男。趣味は競馬観戦。1メートル85、95キロ。

 【勝者のクラブ】▼1W=ピンG30(ロフト角11・5度、シャフトの長さ45インチ、硬さX)▼3W=同i25(15度)▼3I=タイトリストT―MB716▼4I~PW=ピンS55▼ウエッジ=同S56(52度)、同ツアーGORGE(56度)、同GLIDE(60度)▼パター=ピンG5i Craz―C▼ボール=タイトリスト・プロv1x

 ▼日本プロゴルフ協会・倉本会長 結果的にブランドが余裕で逃げ切った。4番や8番はレフティーは打ちにくい。ブランドもボギーを叩いている。彼がスコアを落としていることを考えると下が伸びれば面白い展開になったので残念。

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