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【素顔の代表 本田圭佑】星稜入学「プロにならんと大阪に帰れん」

[ 2014年4月9日 11:00 ]

高校時代から高い意識を持って練習に取り組み、プロで活躍する夢を追い続けた本田

 高校時代は飛び抜けた存在でなかったMF本田圭佑(27=ACミラン)が、なぜザックジャパンのエースになり得たのか――。元J1名古屋のスカウトで、現在はスポーツ事業を手がけるPYRAMIDに所属する金益祚(キム・イッチョ)氏(56)と、石川・星稜高で3年間をともに過ごしたMF橋本晃司(27=J1大宮)の証言を基に、進化の秘密に迫る。

 本田には不退転の決意があった。「プロにならんと大阪に帰れん」。高校入学早々、橋本はその思いを聞いた。G大阪ではジュニアユースからユースへの昇格がかなわなかった。関西にも強豪校がある中、父・司さんに「なぜ星稜に行くのか」と聞かれたが、石川県でレベルの抜けている星稜なら高校選手権への出場の確率が高いと考えた。プロチームの目に留まるためには全国大会に出るのが近道。父を説得して越境留学にこぎつけた。

 何としてでもJリーガーにならなければならない――。その思いがよく表れていたのが、県大会と全国大会での振る舞いの違いだった。橋本は笑いながら思い返す。「県大会とかは俺がFKとか蹴ることが多かった。でも全国大会になると“俺が蹴る”と言ってアイツが出てくる」。理由は明白。「全国で目立たないとプロには行けないと思ったんでしょうね」

 そのFKも名古屋での練習参加を経て、大きな武器へと変貌した。キッカーを担っていたウェズレイの正確かつ破壊力満点のシュートを目の当たりにして17歳の少年は驚きと好奇心を隠さなかった。助走や歩幅、蹴る角度、筋肉の使い方を外国人エースに何度も聞いた。当時はカーブをかけるキック。星稜に戻ってからは筋トレ同様にFK練習にも熱がこもった。3年時には全国的にもFKキッカーとして名をはせるようになった。

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2014年4月9日のニュース