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鮫島 必殺の“乙女クロス”でV弾呼んだ!

[ 2011年9月6日 06:00 ]

<日本・オーストラリア>前半、パスを出す鮫島

ロンドン五輪アジア最終予選 日本1―0オーストラリア

(9月5日 中国・済南)
 “女長友”が勝利をお膳立てした。後半17分、左サイドバックの鮫島は、前線に走るFW永里優に向かってロングボールを蹴り込んだ。それを永里優がポストになってキープし、冷静に川澄にパスを通して決勝ゴールが生まれた。

 「DFラインの間に永ちゃんがいた。相手にとって曖昧な位置にいたから、ロングボール入れれば永ちゃんなら取れるかなと思って。得点に結びついてよかった」

 W杯では、内股気味に腕を外に開いてサイドを上下する“乙女走り”で一躍脚光を浴びた。スピードに乗ったドリブルで相手陣内を攻め上がる姿でさえ、可愛く見えてしまう。もともとは攻撃的MF。前半36分には左サイドから中央に切れ込み、強烈なシュートを放つなど見せ場をつくった。

 そのスタミナを支えるのは1日12~13時間の睡眠だ。今予選は「中1日とか経験したことない」という11日間で5試合の超過密日程。疲労を感じればすぐトレーナーにケアをしてもらい、自分でもストレッチには気を使っているが、一番の特効薬は寝ることだという。「きのう(試合前日)は夜10時に寝て8時に起きました」。念には念を入れて昼寝も欠かさない。

 リュックにはボロボロになったサメのマスコットがついている。鮫島はサインするときにサメのイラストを添える。そのイラストを基に、サポーターがつくってプレゼントしてくれたものをずっと大事にしている。W杯優勝後も「支えてくれた方々に感謝する気持ちでいっぱい」と常に周りへの感謝を胸にプレーする。

 次の北朝鮮戦は中2日。W杯トロフィーを触っていないことを凱旋後のテレビの生放送の収録中に明かす、おっとりしたサメちゃんが五輪切符獲得へ走り続ける。

 ◆鮫島 彩(さめしま・あや)1987年(昭62)6月16日、栃木県生まれの24歳。地元のクラブチーム河内SCジュベニールでサッカーを始め、03年に女子サッカーの名門・常盤木学園高(宮城)に入学。全日本高校女子選手権は3年連続準優勝。06年東京電力マリーゼ入り。東日本大震災による活動停止を受け、米ボストン・ブレーカーズに移籍。1メートル62、53キロ。

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