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「控えめな石川県民」が伸ばした本田圭佑の強烈な個性

[ 2010年5月28日 14:17 ]

岡田武史監督(手前)が見つめる前で、中村俊輔(左から2人目)と競り合う本田圭佑(中央)

 第一印象はやはりビッグマウスだった。「中学生の時にテストを兼ねてウチの練習に来たときに、ちょっと難しいプレーを褒めたんですよ。そしたら“それくらいできますよ”と返されて驚きましたよ」。初のW杯に臨む日本代表MF本田圭佑(23=CSKAモスクワ)の恩師、星稜高サッカー部の河崎護監督(50)は、当時を懐かしそうに振り返る。

 高校入学時から向上心の塊だった。意見が食い違うと、土のグラウンドに絵を書いて上級生と納得いくまで話し合った。自分にできないプレーをする仲間を見て「お前にできてオレになぜできない」と必死で習得した。練習も手を抜かない。プレー中は誰でも呼び捨てにするずぶとい下級生だったが、サッカーに対するまじめな姿勢で上級生からも受け入れられた。

 河崎監督によれば、石川県民の県民性も「本田には合っていた」という。「石川県民は控えめだから上級生も本田の意見を聞いたんじゃないかな」。G大阪ジュニアユースに所属していた中学時代は急に身長が伸びたことで一時的に体のバランスが崩れて思うようなプレーができず、ユースに昇格できなかった。だが“回り道”に思えた星稜高の環境が、本田の強烈な個性をさらに伸ばす要因となった。

 3年時、当時横浜監督を務めていた岡田監督が本田の獲得を検討していた。だが、「運動量がなくて、ボールをさばく選手」との理由で横浜入りは消滅した。その岡田監督から攻撃の中心として期待されて本田は初のW杯へと臨む。

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2010年5月28日のニュース