五社英雄監督 没後30年 遺作「女殺油地獄」など映像会社の垣根越え9作品初DVD化

[ 2022年6月14日 05:00 ]

五社英雄監督没後30年イベントのポスター
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 「鬼龍院花子の生涯」や「極道の妻たち」など数多くの話題作を放った五社英雄監督の没後30年を記念して、「御用金」や「人斬り」など9作品が初めてDVDやブルーレイ化されることが決まった。東宝、松竹、東映ビデオ、ポニーキャニオンと映像会社の垣根を越え、命日の8月30日から順次発売されていく。

 「没後30年 五社英雄 情念の軌跡」と題した一大プロジェクト。東京・池袋の新文芸坐では8月27日から10日間の日程で10作品の特集上映も決まり、豪華ゲストによるトークショーも計画中。またCSやBSも五社作品の放送を予定しており、三社ならぬ“五社祭り”が初秋をにぎやかに彩る。

 ニッポン放送、フジテレビを経て映画界に進出した五社監督は、1992年公開の遺作「女殺油地獄」まで生涯に24本の劇場用映画を送り出している。フジ在職中のヒット時代劇「三匹の侍」の劇場版をはじめ、そのうち15本がDVDになっているが、(1)「牙狼之介」(66年)、(2)「牙狼之介 地獄斬り」(67年)、(3)「御用金」(69年)、(4)「人斬り」(69年)、(5)「女殺油地獄」(92年)、(6)「獣の剣」(65年)、(7)「五匹の紳士」(66年)、(8)「十手舞」(86年)、(9)「出所祝い」(71年)が今回初めて発売され、全作品が出そろう。

 娘で五社プロダクション社長の五社巴さんは「3年前に実母が亡くなり、遺品の整理をしながら、父の作品を改めて確認する流れになりました。フジ在職中に12本、フリーになって12本の劇場用映画を撮ってますが、そのうち9本も見られない作品があることが分かり、そこから動き出したんです」と説明。

 巴さん自身、勝新太郎さんや作家の三島由紀夫氏らが出演した「人斬り」のDVD化がうれしいと喜ぶ。司馬遼太郎氏の「人斬り以蔵」をベースにフジテレビと勝プロダクションが共同製作した幕末時代劇。「作品的にも躍動感があって、人斬りのシーンは毛穴からエネルギーが出て来るような迫力」とアピール。「もちろん遺作の“女殺油地獄”の初DVD化も何よりです。父にとって初めてと言っていいほどケレンのない作品」と続けた。

 テレビの世界から殴り込みをかけた五社監督に当初、映画界は冷たかった。才能に嫉妬(しっと)したところも大きかったのかもしれない。作るモノは本寸法。俳優たち、とりわけ女優に愛され、宮尾登美子さんの小説を映画化した「鬼龍院花子の生涯」「陽暉楼」「櫂」の、いわゆる高知3部作は高い評価を得た。

 巴さんは五社監督自身が最も好きだった作品を「敢えて聞かなかった」そうだ。そう断った上で「憶測ですけど、やはり“鬼龍院花子の生涯”だったかもしれないですね」とつぶやいた。拳銃の不法所持や夫人の借金、そして生死をさまよった巴さんの交通事故…そんな不運が重なって1980年にフジテレビを辞めざるを得なくなった五社監督。「ちょうど50歳で、演出家を辞めなくてはならない窮地に立ちました。でも生きていかなきゃならないし、一命を取り留めた私と2人で新宿ゴールデン街に五社亭という飲み屋さんを開こうとしたんです。マッチ箱も100個作って…」

 そんな時だった。東映の岡田茂社長(当時)と俳優座の佐藤正之氏から「鬼龍院花子の生涯」の話が舞い込んだ。岡田社長は今回初めてDVD化される夏八木勲主演の「牙狼之介」で組み、佐藤氏は仲代達矢を大きくした俳優座の重鎮だ。

 土佐の侠客、鬼政(仲代達矢)を取り巻く女たちの愛憎劇。養女の松恵(夏目雅子)の目から描かれた文芸大作だ。夏目が発する「なめたらいかんぜよ!」というタンカが、今風に言えば“バズっ”て大評判。銀座の丸の内東映の前に出来た長蛇の列を、車道を挟んだ反対側の歩道から父娘でしみじみ眺めたのもきのうのことのように目に浮かぶという。

 「“鬼龍院”がヒットしたことで12本も撮れました。当てなければ生きていけないという強迫観念、それは凄いものがあったと思います。だから1本1本を命懸けで撮っていました」

 そう振り返った巴さん。「父といえば、女優さんを脱がせるとか、後半のイメージで語られることが多いけれど、デビューが時代劇の“三匹の侍”で、現代劇もたくさん撮っている。演出家として意外な面もあるところを再確認してもらえたらうれしいですね」と強調した。

 1989年3月に食道がんを告知され、闘病の末、3年半後の92年8月に63歳で逝った五社監督。実は渡辺謙、本木雅弘、竹中直人の豪華キャストで「三匹の侍」の2度目の劇場版製作に向けて動いていた。「この作品でデビューした父。がんと分かり、そう長くは生きられないと悟った時、最後も“三匹の侍”で締めくくりたいと思ったんでしょう。スタッフも“たとえ車椅子でも”と動いてくれたんですが、結局病魔には勝てませんでした」と、巴さんは幻の台本を示しながら、秘話を明かした。

 遺作となった「女殺油地獄」に主演した樋口可南子を取材するため京都に向かい、撮影現場でお目にかかったのが個人的には五社監督との最後の対面となった。92年の年明けのことだ。

 監督の誕生日は1929年2月26日。それからちょうど30年後の2月26日に産声をあげたのが筆者。そんな縁もあって勝手に親近感を覚えていた。2・26事件を題材に「226」(89年)を撮った時には感慨深いものがあった。その五社監督が亡くなってはや30年。時の移ろいの早さに驚くばかりだ。(佐藤 雅昭)

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