米朝さんの墓、出身の姫路に建立 米團治「心の中に生きている」

[ 2016年11月6日 17:02 ]

米朝さんの墓を囲む三男・渉氏(前列左から2人目)、長男の桂米團治(同3人目)、月亭可朝(右端)、二男・透氏(2列目左から2人目)

 昨年3月19日に89歳で亡くなった人間国宝で落語家の3代目桂米朝さん(本名‖中川清)の姫路市名誉市民としての墓が完成。6日、姫路市の名古山霊苑で米朝さんと、14年6月27日に88歳で亡くなった妻・絹子さんの夫婦2人の納骨式が執り行われた。

 米朝さんは姫路市出身。この日は米朝さんの長男である5代目桂米團治(本名=中川明、57)ら家族、月亭可朝(78)ら弟子、米朝さんの母校・旧制姫路中時代の友人ら51人が参列した。この日は米朝さんの91回目の誕生日。「生きていれば91歳。でも、生きていればでなく、皆さんの心の中に生きていると思います」と米團治は話した。

 お墓は西宮市で高校の教頭を務める二男・透氏(55)の発案で米印に墓石が並べられ、真上から見ると「米」の字に見える。墓前の2つの石はベンチとして利用可能で「米朝の墓に参って、楽しんでもらえれば」と米團治。中央後方の2つの石は「八十八(やそはち)」の俳名を持つ米朝さんの俳句4首が刻まれてある。納骨式の後、米團治が会見に臨み、子供の頃に父・米朝さんに連れられて姫路にあった中川家の墓に来た思い出などを話し「米朝は姫路の街が好きだった。姫路には国宝が2つあります。白鷺城と米朝。2つの国宝で、姫路にもっと活気が出れば」と市の活性化を期待していた。

 尼崎市にある米朝さんの生前の自宅の整理は「8割方まで進んだ」と米團治。来年1月28日からお墓から近くにある兵庫県立歴史博物館(姫路市本町)で「人間国宝・桂米朝とその時代」という特別展を開催。米朝さんの遺品が展示されるが、今年1月に85歳で亡くなった3代目桂春団治さんに稽古をつけた「親子茶屋」の米朝さん直筆原稿が見つかり、展示されることになった。

 名誉市民墓は、米朝さんが亡くなって約半年後の15年8月、米朝さんの故郷・兵庫県姫路市が「名誉市民の墓を建立されませんか」と米團治ら遺族へ打診。96年8月に姫路市の名誉市民という称号を得たが、姫路市では名誉市民が亡くなった場合、その栄誉を称えるべく、名古山霊苑に(土地は無償、石塔代は有償で)お墓を建立することが可能となる。米團治ら家族が相談し「姫路の落語ファンの方々に喜んでいただけるのなら」と受諾した。

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