35歳・秦基博 50歳の「あいつ」と歩み続けた10年

[ 2016年10月9日 10:15 ]

「相棒」のギターについて語る秦基博
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 低調な男性ソロシーンで輝きを放ち続けているシンガー・ソングライターの秦基博(35)。昨年、「ひまわりの約束」を大ヒットさせ、デビュー10周年を迎える来月からは自身初の全国アリーナツアーを行うなど、着実にステップアップしている。大きな魅力は繊細なメロディー。これをつむぎ出すのに欠かせないのが、50歳になる“相棒”だ。

 もう「はたき・ひろし」とも「かなで(奏)さん」とも呼ばれなくなった。「はた・もとひろ」。小さい子供にも正しく呼ばれるようになったのは、映画「STAND BY ME ドラえもん」の主題歌「ひまわりの約束」(14年8月発売)の影響が大きい。

 「デビュー時はよく“日本人?”とも聞かれた。アイ(10年のヒット曲)を出した後に名前がどんどん認知されたと感じたけど、ひまわりの約束で幅広い世代に広まった実感がある」

 先月、所属事務所オフィスオーガスタの同僚アーティストが一堂に介する恒例の音楽祭「オーガスタキャンプ」で初のホスト役に抜てきされた。昨年は先輩の山崎まさよし(44)が務めた大役だが「緊張はしなかった。本番を楽しめた」と、6時間ほぼ出ずっぱりで務め上げた。

 伸びやかで鋭い歌声とともに評価が高いのが、繊細なメロディーだ。楽曲作りは、先に作曲して歌詞を当てはめていく「曲先」タイプ。「例えば、ひんやりとした冬の朝に鼻の奥がツンとする感じとか、歌の情景をメロディーで表現しようとしている」と、こだわりを明かした。

 そのメロディーを生み出す上で欠かせないのが、米ギブソン社の66年製アコースティックギター「J―45」。デビュー前に都内の楽器店で一目ぼれした。約40万円と高額だったが、事務所に借金をして買った。

 「弾けば弾くほどいい音を出す。仲良くなればなるほど、いろんなことをやってくれる相棒。10年間、お互いに育ってきた。あいつがいなくなったら、つらいですね」

 50年物のビンテージギターを「あいつ」と親しみを込めて呼ぶ。少なくとも1年に1回はメンテナンスをして大切に使っている。

 野球好きだった秦少年が音楽に興味を持ったのは小学6年の時。兄のギターを弾くようになり「中学の時、部活が終わって夕飯を食べるまでの1時間、ギターを毎日弾いた。すぐに曲作りもするようになった」と振り返る。

 18歳の時から横浜のライブハウスで腕を磨き、大学卒業後の25歳の時にスカウトされ、06年にデビュー。しかし、当時から音楽シーンはグループの活躍が目立つようになり、特に男性ソロは売れなくなっていった。

 「何年かやっていくうちに、ギターを持ったシンガー・ソングライターが少なくなったなと思った。でも、逆に目立つチャンスだと思ってきた」

 10年にアルバム「Documentary」が初めてオリコンでトップ3入り。11年にはギター一本で日本武道館で公演し、存在感を示した。

 「あの武道館の弾き語りライブが10年で一番、印象に残っている。自分の原点の表現方法で、あのステージで音楽を届けられて自信になった」

 これ以来、楽曲作りをより研ぎ澄ますようになった。今月19日に発売するデビュー10周年記念の両A面シングル「70億のピース/終わりのない空」は「自分が今、何を歌いたいか、届けたいか、歌うべきかを考えたら、自然とこの2曲ができた。シンプルだけど奥深い作品だと思う」と仕上がりに自信を見せる。

 来月1日からは全国7公演のアリーナツアーを開催する。「ストリングスを8人入れて、いつもより豪華にやろうと思う。自分の中にある表現力を全部出したい」と意気込んだ。

 「1曲ずつ自分がいいと思うものを作って歌って10年がたった。これがさらに10年、20年と続いていけばいいなと思う」

 生涯、シンガー・ソングライターでいることが目標だ。

 ◆秦 基博(はた・もとひろ)本名。1980年(昭55)10月11日、宮崎県生まれの35歳。06年にシングル「シンクロ」でデビュー。14年のベスト盤「evergreen」は日本レコード大賞企画賞を受賞。これまでシングル20枚、オリジナルアルバムを5枚リリース。V6や山下智久らに楽曲提供も。お笑いコンビ「ジョイマン」とは中学校の同級生。血液型A。

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