野坂昭如さん死去 「焼け跡闇市派」直木賞作家、歌手…多彩な顔

[ 2015年12月11日 05:30 ]

79年、トレードマークのサングラス姿でタバコをくゆらす野坂昭如さん

 小説「火垂(ほた)るの墓」などで知られる直木賞作家で、作詞家やタレントとしても活躍した元参院議員の野坂昭如(のさか・あきゆき)さんが9日午後10時37分ごろ、心不全のため東京都新宿区の東京医大病院で死去した。85歳。神奈川県出身。戦争体験から「焼け跡闇市派」を自称し、型破りな言動で社会を批判。戦争の悲惨さを訴え続けた。通夜・密葬の儀は親族のみで行う。葬儀・告別式は19日、青山葬儀所で営む。

 終戦70年の節目に、戦争の悲惨さを訴え続けた無頼派が旅立った。次女の亀井亜未さん(43)らによると、9日午後9時半ごろ、暘子さんが寝室に様子を見に行くと、野坂さんがベッドの中で意識を無くしていたため119番。東京都杉並区の自宅から病院へ搬送され、死亡が確認された。10月に誤嚥(ごえん)性肺炎を患ったがリハビリを続け、当日も意識ははっきりしていたという。亜未さんは「表情は穏やかでした」と話した。

 遺体は10日に自宅に戻り、家族や親しい編集者ら約30人が寄り添った。トレードマークのサングラスを掛け、黒革ジャケットと柄のTシャツ姿。枕元には愛用した帽子が置かれ、生前と変わらぬダンディーな姿で静かに眠っているようだった。

 1945年、福井に疎開中に義妹を栄養失調で自身の腕の中で亡くしたことを胸に抱き続けた。壮絶な体験は直木賞受賞作「火垂るの墓」に描かれた。作家業のほか、童謡「おもちゃのチャチャチャ」などの作詞、「ソ、ソ、ソクラテスかプラトンか…」のウイスキーのテレビCM、政治や社会を痛烈に批判した討論番組への出演など、意欲的に活動した。

 74年参院選に「二度と飢えた子供の顔をみたくない」をスローガンに掲げ出馬。83年参院選に初当選した後、「“金”対“言葉”の戦いだ」と田中角栄元首相の選挙区から衆院選に立候補したが落選した。

 戦前派、戦中派でも戦後派でもない「焼け跡闇市派」を自称。大島渚監督と殴り合いをするなど型破りな行動でも話題になった。亜未さんは「恥ずかしがり屋で自分の作品についてはあまり話さず“火垂るの墓”の映画も悲しくなるからと終わりまで見なかった」と、サングラスの下の繊細な素顔を明かした。

 03年に脳梗塞で倒れ闘病生活に入ったが、口述筆記で戦争の悲惨さと世の中への思いを訴え、亡くなる直前にも原稿を出版社に送っていた。

 講談社の元担当編集者、宮田昭宏さん(71)によると、「議員時代に目の前に大金を積まれたことがあり、自分がいる世界ではないと思った」とし、「経験を生かした政治の小説を書きたい。田中角栄さんも登場させたい」と構想を練っていたという。信念と正義感を持ち、独特の言動と視点で、最期まで戦後日本への警鐘を鳴らした。

 ◆野坂 昭如 1930年(昭5)10月10日、神奈川県鎌倉市生まれ。実父は新潟県副知事だった。早大在学中から放送作家の仕事を始める。静岡・伊東の「ハトヤホテル」のCM曲も手掛けた。歌手として「黒の舟唄」をヒットさせた。大の酒好きでも知られた。

 ◇野坂昭如さん葬儀日程
【葬儀・告別式】19日(土)午前11時
【場所】青山葬儀所=東京都港区南青山2の33の20=(電)03(3401)3653
【喪主】妻暘子(ようこ)さん

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