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13歳で国鉄勤務!?三遊亭圓歌の生年月日が違うワケ

 70年代に「エバラ焼肉のたれ」のCMで印象的な演技を披露した落語家の橘家圓蔵さん(当時は月の家円鏡)が、先月7日に亡くなった。その追悼コメントを取るために、昭和のお笑い界を支えた三遊亭圓歌さんを取材した。その後だ。落語協会が発表する圓歌さんの生年月日が気になった。

 落語協会のホームページには「1932年1月10日」と表記されているが、以前に取材をした際「終戦のときは国鉄の社員で、東京で駅員をしていた」と語っていた。

 表記の通りなら、圓歌さんは13歳で当時の国鉄に勤めていたことになる。東京は相次ぐ空襲で混乱を極め、成年男性の多くが兵隊にとられていたとはいえ、13歳の少年が国鉄に就職できるのだろうか。

 いぶかしく思い、もう一度、本人に連絡をしてみると「実は1929年なんだよ。戸籍のあった役所が空襲で焼けちゃったんです。それで再度届けたときに家族が間違えちゃって。だから戸籍上は3歳若くなっちゃった」と少し笑いながら答えてくれた。度重なる空襲をかいくぐった生粋の江戸っ子らしいエピソードだった。

 頭を低くして、ただただ恐怖におびえながら戦争末期を生き延びたわけではない。

 「上野の鈴本演芸場には防空帽をかぶってよく通いましたねえ。寄席で笑ってると空襲警報が鳴るんですよ。そしたらみんな、サァーっと引けて防空壕や安全そうな所に向かう。サイレンが鳴り止むとまたみんな寄席に戻ってくる。そんなことばかりしてました」

 圓歌さんの思い出話は実に貴重だ。戦争に日常性を奪われることに抗い、戦争を笑い飛ばしてやろうというたくましい江戸っ子はたくさんいたのだ。

 戦後70年。そしてまた、師匠も芸能生活70年。終戦と同時に鉄道員を辞め、落語家に転身した。当然ながら親は猛反対。ついには勘当される。戦争が終わり、誰もが定職を探している中で、いとも簡単に最も安定していると思われた職を捨てる息子の気持ちは、親に理解できるはずもなかった。しかし、空襲の中でも命がけで笑い続けた寄席での強烈な体験は、思春期の青年の将来像に劇的な影響を与えたのだろう。

 今年の8月31日、物心ついた頃からずっと通っている鈴本演芸場で、芸能生活70周年を記念した一門会が開かれた。独特のひょうひょうとした空気感を放ち、客にこびずにしっかり笑いをとる。正確な年齢は86歳。80を超えても錆びない話芸。世代を超えて目撃してほしい生きる伝説だ。(記者コラム)

[ 2015年12月11日 08:32 ]

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