タブレット純 新宿ゴールデン街から生まれた“昭和の遺産”

[ 2015年9月13日 09:00 ]

タブレット純(中)の作詞作曲でCDデビューする阿佐ヶ谷姉妹

 日本コロムビアの衛藤邦夫プロデューサーが芸人のタブレット純と出会ったのは、新宿ゴールデン街のバーだった。算数問題の文章のおかしさを歌ネタで披露して人気に火がつき、現在「最もブレークに近い」オネエ系芸人と言われている。お笑い番組を中心にテレビ出演も急増しているが、当時はしがない長髪のソロミュージシャンだった。いつも淡々と飲んで、もの静かに語り、アルコールのリミットが超えると、いつの間にか電池が切れたようになって、カウンターで突っ伏して寝てしまう。

 「他人に迷惑をかけない飲み方が取り柄でした」と笑う衛藤氏だが、もうひとつの取り柄は昭和歌謡に関する造詣の深さだった。特に昭和30~40年代に一大ブームとなったムード歌謡の知識は舌を巻くほどだった。クール・ファイブ、ロス・プリモス、ブルー・コメッツといったメジャーグループだけでなく、聞いたこともないようなグループや歌手についても語ることができた。知識量に感服した衛藤氏は「いつか一緒にCDを作れたらいいね」と、酒の勢いを借りて話したこともあったという。

 そんな夢物語が実現してしまう。タブレット純が選曲したムード歌謡コンピレーションアルバム「夜の贈りもの~タブレット純 ムードコーラス・セレクション~」が30日に発売される。昭和40年代の埋もれた名曲ばかりを集め、華やかかつなまめかしく、キャバレーなどが代表する高度成長期の夜の文化が全編に漂う魅力的な作品に仕上がっている。ボーナストラックではタブレット純が作詞作曲した「おしぼりをまるめたら」を、芸人仲間の阿佐ケ谷姉妹が歌う“歌ネタ芸人コラボ”も実現している。

 CDに付いているライナーノーツの中で、タブレット純は拾い上げてくれた衛藤氏に感謝の言葉を記している。ゴールデン街の中で、ときどき酒にノックアウトされながらも夢をあきらめなかった男(オネエだが…)。そして、そこに光を当てたプロデューサー。ただ、高度成長期のこの街では、そんな事象はいくらでもあっただろう。

 文学や演劇界の担い手が集まり、街は昭和文化の一大発信地だった。今でこそ発信地は拡散し、発信力も昔とは比較にならないかもしれないが、きらびやかな新宿でなおも昭和のにおいが漂うゴールデン街。タブレット純はその中で昭和の遺産を熟成し、再生産を試みようとしている。

 その仕事に目に見える成果が出れば、昭和生まれの端くれとしては、とても痛快だ。 

続きを表示

2015年9月13日のニュース