安岡力也さん死去…最後にポツリ「俺負けたな…」 

[ 2012年4月9日 06:00 ]

心不全のため死去した安岡力也さん

 歌手で俳優の安岡力也さん(本名同じ)が8日午前6時1分、心不全のため東京都千代田区の病院で死去した。65歳だった。東京都出身。02年に肝臓を患ってから10年にわたって病魔と闘ってきた。アウトローから「ホタテマン」などのコミカルな役まで、幅広く活躍した人気者だった。密葬は近親者のみで行い、後日、お別れの会を開く。

 復帰を信じ、不屈の闘志で病気に立ち向かった安岡さんが、ついに力尽きた。100キロを超えた巨体も70キロまでやせた。最期は親族がみとった。遺体は都内の病院から長男力斗(りきと)さん(26)が住む千葉県内の寺に安置された。同所でこの日午後3時から力斗さんが会見した。

 早朝、病院に駆けつけた時にはすでに他界していた。「きれいで安らかな顔をしていた。世界一のお父さん。誰よりも家族を愛し尊敬していた」と天を見上げた。

 最後の会話は2日前。6日午前8時頃に最高血圧が50台に低下するなど一時危篤状態になった時だった。闘病生活で一度も弱音を吐かなかった安岡さんが、呼吸器をつけたまま「俺負けたな…」とポツリ。そして、生まれた時からこの上ない愛情を注いだ息子へ「おまえは俺のエンジェルだ」と声を振り絞った。力斗さんも「俺にとってはゴッドファーザーだよ」と応じた。

 同日夜には意識を取り戻し、少し持ち直して小康状態が続いたが、8日に容体が急変し帰らぬ人となった。

 戒名は「鑑薔院濤力仁道大居士(かんしょういんとうりきじんどうだいこじ)」。安岡さんが好きだったバラの花と、人生の荒波を乗り越えて生きたという意味が込められているという。

 ◆安岡 力也(やすおか・りきや)本名同じ。1946年(昭21)7月19日、イタリア人の父と日本人の母の間に生まれた。高校在学中の1964年、映画「自動車泥棒」で俳優デビュー。同年、結成した「シャープ・ホークス」のボーカルとして66年に歌手デビューした。梅宮辰夫主演の東映「不良番長」シリーズなどで存在感を示し、ハリウッド作品「ブラック・レイン」にも出演。83年にはフジテレビ系のバラエティー番組「オレたちひょうきん族」でホタテマンに扮してお茶の間の人気者になった。

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