阪神・粟井球団社長が震災当時を振り返る「1カ月で10万人以上の方が」阪神プールの復旧に携わる

[ 2024年1月17日 11:03 ]

阪神淡路大震災の犠牲者に黙とうを捧げる阪神の選手と関係者(撮影・須田 麻祐子)
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 阪神淡路大震災から29年が経った17日、兵庫県西宮市の鳴尾浜球場では球団旗が半旗となり、被災者を慰霊する黙とうを1分間捧げた。粟井一夫球団社長(59)以下、球団関係者、選手ら約50人が参加。黙とう後、報道陣に対応した粟井社長が思いを語った。

 震災当時、同社長は若手社員として阪神電鉄の出向の新規事業としてレストラン事業に赴任。91年にオープンした店舗が95年の震災で全壊したという。当日は西宮市の自宅で被災。「家の中はぐちゃぐちゃですけど、建物は大丈夫やった。(レストランまで)自転車で行って、当時は携帯ないんで、いろんなツテを使って従業員、アルバイトさん、基本的に無事やった。それを確認できたのが当時の初動」と振り返った。

 その後は、阪神パークのプールの復旧に着手。「8月1日にオープンさせて。被災地の中ではじめ不謹慎だと言われるかと思ったけど、逆にすごい喜んでいただいて。1カ月で10万人以上の方が来てくれて。復旧から復興のフェーズに入っていく1つのターニングポイントを担当させてもらった」と話した。

 12球団と日本野球機構(NPB)は、能登半島地震の被災地支援として日本赤十字社を通じて義援金1億円を送ることも決定。粟井社長は「プロだけじゃなく、アマチュアも含めてできるだけ野球をやって、特に被災された方々に元気を届けられたら」と口にした。

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