「150キロトリオ」の一角が朗希に続きプロへ 仙台育英・仁田陽翔が挑む「敗者復活戦」(1)

[ 2023年10月6日 19:18 ]

仙台育英・仁田
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 今夏の甲子園で優勝した慶応(神奈川)など8校が出場する鹿児島国体は8日に開幕する。プロ志望届を提出した仙台育英(宮城)の最速151キロ左腕・仁田陽翔投手(3年)は10月26日のドラフト会議に向け、最後のアピールの場となる。今夏の甲子園決勝で敗れた慶応との初戦で「リベンジ」できるかが、人生の岐路となる。

 東北地区のアマチュア野球を担当する記者が仁田の歩みを全3回で特集する。第1回は夏の甲子園で東北勢初の日本一を果たすなど、仙台育英が高校野球の歴史の歴史に名を刻んだ22年夏の甲子園大会までの道のりを振り返る。

 昨年まで花巻東(岩手)のスラッガー・佐々木麟太郎の担当記者だった記者は、昨春の東北大会を取材するために福島へ出張した。

 花巻東は初戦で東北(宮城)に敗れ、佐々木を封じた右腕・伊藤千浩投手(現東北福祉大)の活躍が話題になった大会だった。だが、記者はそれ以上に直前に行われた仙台育英―弘前学院聖愛の一戦に熱中した。そこで一目で分かる「逸材」に出会えたからだ。

 福島県営あづま球場はグラウンドと同じ高さに記者席があり、投手の球道が把握しやすい球場だ。同点の8回から4番手で登板した当時2年の仁田の投球に「凄すぎる…これが2年生か」と目を奪われた。柔らかなフォームから繰り出す直球は糸を引くように美しく、スライダーは変化量とスピードを兼ね備えた荒々しいウイニングショットだった。延長11回に決勝打を許したが、4回を投げて8奪三振。試合後の取材では仁田の前から離れなかった。「プロで活躍する投手になる」と確信があった。

 岩手県大船渡市出身。猪川小3年から猪川野球クラブで野球を始め、大船渡一中では軟式野球部に所属。日本一を目指すために宮城の仙台育英に越境入学し、1年春からベンチ入りした有望株だった。取材に臨む仁田には、語り口は穏やかだがコメントの中身は「激アツ」という特徴がある。この日も「このチームなら東北勢初の甲子園優勝を狙える」とクールに言った。その「予言」はすぐに現実になった。

 仙台育英は22年夏に東北勢として初の甲子園大会優勝を成し遂げた。宮城大会はぎっくり腰の影響で登板のなかった仁田は、鳥取商との2回戦で初となる甲子園のマウンドに立ち、1回を1安打無失点。奪った3つのアウトは全て三振と鮮烈なデビューだった。さらに22年大会の左腕で最速の147キロをマークし、須江航監督は「もう一個、強い球を投げられる」とニヤリ。競合となるスポーツ新聞各社は継投策での勝利を伝える原稿を書いたが、記者は勝利に直結していない仁田を原稿のメーンにすることを決めた。仁田は取材の指名選手に呼ばれなかったため当日のコメントがないという悪条件だったが、必死に紙面の構成を決めるデスクと交渉した。後々を考え「仁田の甲子園初登板は紙面に残しておかなければならない」と譲れない思いがあった。翌日の紙面には「東北時代!また怪物候補」の見出しが躍り、テークバックに入った仁田の写真が大きく掲載された。

 仁田は甲子園の2試合で計4回を投げて3安打無失点で日本一に貢献。大阪桐蔭・前田悠伍とともに将来を期待される2年生左腕に位置づけられた。同年秋から始動した新チームのテーマは「2回目の初優勝」。仁田は最上級生としてチームをけん引していく立場となった。(柳内 遼平)
(続く)

 ◇仁田 陽翔(にた・はると)2005年(平17)6月10日生まれ、岩手県大船渡市出身の18歳。猪川小3年から猪川野球クラブで野球を始め、大船渡一中では軟式野球部に所属。仙台育英では1年春からベンチ入り。憧れの選手はロッテ・佐々木朗。1メートル75、74キロ。左投げ左打ち。

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