【内田雅也の追球】天国で味わう美酒 中村勝広さんの命日は献杯の夜になった

[ 2023年9月24日 08:00 ]

セ・リーグ   阪神9―3ヤクルト ( 2023年9月23日    神宮 )

<ヤ・神>勝利し、ファンの声援に応える岡田監督(撮影・須田 麻祐子)
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 中村勝広さんの命日だった。阪神ゼネラルマネジャー(GM)在職中の2015年9月23日未明、チーム遠征先・東京のホテルで脳出血のため亡くなった。

 その後、29日、千葉市内で営まれた葬儀・告別式に参列した現監督・岡田彰布さん(当時野球評論家)は不思議な体験をしている。

 読経の間、合掌していると、突然、パーンと手にしていた数珠の珠が飛び散った。ひもが切れていた。「びっくりした。あんなこと、あるんやなあ。オレに何か伝えたかったんやろうか……」

 他界前日、中村勝さんは東京ドームで巨人に敗れるのを見届けた。試合前から「この3連戦、初戦が天王山」と優勝争いの重要な一戦と位置づけていた。敗戦後、同行していた球団社長(当時)・南信男さんに「これでほとんど……」と絶望の思いを打ち明けている。

 同夜、ホテル自室で独り、ビールを1本飲み、おにぎりを食べてベッドに入り、永遠の眠りについたのだった。

 早大の先輩後輩、現役同士、監督・選手として交流があった岡田さんに託した思いとは「優勝」にほかならない。

 中村勝さんは「オレは優勝を知らないんだ」とよく話していた。1985(昭和60)年は2軍監督で優勝当日は米教育リーグ参加でフロリダにいた。2003、05年はオリックスのGMを務めていた。優勝とは無縁のプロ野球生活だった。

 亡くなってからもう8年になる。岡田さんも11月には中村勝さんの年齢(66歳)に追いつく。月日は流れ、託された優勝は果たした。

 夜には秋を感じさせる風が吹いた。中村勝さんが眠る故郷・九十九里から吹いていた。優勝を祝う思いは届いていた。ともに早大での青春時代を過ごした神宮での一戦だった。快勝だった。

 秋分の日。祝日法には「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ」が趣旨とある。18年ぶりの優勝に先人の労苦や風雪に耐えた日々を思う。

 中村勝さんは勝負の世界に生きる人生をよく「男のロマン」だと言った。カラオケでは「勇者たち」を好んで歌った。「最後に 勝つ者に なろうじゃないか」

 酒を好み、ビール、ブランデー、バーボンとよく飲んだ。今ごろは天国で美酒に酔っていることだろう。祝い酒の乾杯。そして、献杯の夜になった。(編集委員)

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