【内田雅也の追球】「親分肌」で向かう「秋」 松木謙治郎ばり“岡田一家”の姿勢

[ 2023年8月24日 08:00 ]

セ・リーグ   阪神7―2中日 ( 2023年8月23日    京セラD )

<神・中>4回、本塁打を放った佐藤輝(右)を迎える岡田監督 (撮影・成瀬 徹)
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 松木謙治郎はタイガースの偉人である。球団創設初年度1936(昭和11)年のメンバーで初代主将を務めた。戦前40―41年は選手兼任で、50―54年と監督を務めた。

 2リーグ分立騒動で選手の大量移籍にあった50年は「火中に栗を拾う」覚悟だった。当時マネジャーの奥井成一は週刊ベースボールに寄せた『わが40年の告白』で<松木さんの厳格な態度に反発する者は一人もいなかった。チーム再建にかける監督の胸中を知っていたからだろう。“松木一家”であった>と記した。

 吉田義男がプロ入りした53年当時の監督。「失策王」と呼ばれるほどだったが、「もう一丁やってこい」と送り出された。親分肌だった。

 今の監督・岡田彰布にも通じる。前回監督の04―08年当時、ベテラン選手から「親分」と呼ばれていた。

 低打率で、攻守ともに凡ミスが多い佐藤輝明を2軍に落としたり、スタメンから外したりしながら使いこなす。岡田は「あいつはわからんわ」と笑うが、吉田が「監督の期待に応えようと奮起した」との思いは佐藤輝にもあろう。

 この夜、4回裏に右翼席へライナーで追い上げの14号ソロを放った。5回裏1死一、三塁では右前に同点打を放った。この後、得点を重ね、6投手継投で勝ちきった。

 岡田の阪神監督としての通算勝利数は460勝となり、松木に並んだ。藤本定義、吉田に次ぐ歴代3位である。

 ただし、岡田は「そんなもん」と自身の記録にさほどの興味も示さない。「監督なんて長いタイガースの歴史からすればほんの一コマよ」

 阪神監督としての覚悟が見てとれる。少年時代から育んだ猛虎愛は筋金入りだ。大リーグ・ドジャースで長く監督を務めたトミー・ラソーダに「オレの体には青い血が流れている」との名言がある。岡田には「黄色い血」が流れていよう。

 季節は二十四節気の処暑に入った。厳しい暑さの峠を越した頃をいう。屋根付き、鉄筋コンクリートの京セラドームでは赤とんぼも見えないが、球場の外に出るとコオロギが鳴く声が聞こえた。夏の甲子園の熱闘は終わり、プロの熱闘が待つ。

 岡田の最近の口癖は「一つ一つ」という堅実と「みんなで」という一丸。秋を「とき」と読ませるのは重要な時を指す。阪神は実りの秋に向かっていた。=敬称略=(編集委員)

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