大谷、雄星、朗希の前に岩手が生んだ“伝説の野球選手”とルースゆかりのお宝 超高額鑑定で歴史的価値証明

[ 2022年10月11日 22:56 ]

テレビ東京
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 11日放送のテレビ東京「開運!なんでも鑑定団」(後6・25)で伝説のプロ野球選手にまつわる“お宝”が初公開。その評価額にMCの今田耕司(56)らスタジオ全体が騒然となった。

 番組では岩手が生んだ“野球の星”大谷翔平、菊池雄星、佐々木朗希の前にもう一人、伝説となった野球選手として久慈次郎を紹介。1898年生まれで岩手県出身の久慈は早大野球部で捕手として活躍。「大正3大投手」の一人に挙げられる谷口五郎と“早稲田黄金時代”築き上げた。

 1922年(大正11年)当時はプロ野球がまだ誕生していなかったため、大学卒業後は函館オーシャン倶楽部に入団。1934年(昭和9年)にはベーブルースやルー・ゲーリックらが来日した日米野球に全日本チーム捕手兼主将として参加。16戦全敗終わったが、沢村栄治やスタルヒンといった大投手らを堂々とリードした。

 同番組には久慈次郎のお孫さん“一家”が登場。鑑定してもらう宝物としてベーブルースら“全員”のサインが入った日米野球のメンバーリストがお披露目された。

 すると鑑定結果は驚きの「1000万円」を提示。まぎれもない本物で歴史的価値のあるものが証明されると、スタジオからは大きなどよめきが起こった。

 この日米野球と同じ年には全日本チームを核とした日本初のプロ野球チームである大日本東京野球倶楽部(現・読売ジャイアンツ)が結成。久慈は沢村やスタルヒンが月給120円だったのに対し、500円という超破格の待遇で初代主将に指名されたものの辞退。被災から復興している函館を見捨てることが出来ず“生涯アマチュア”の道を貫き、1939年8月19日に試合中に頭部にボールが直撃し死去。40歳という若さでの悲劇だった。

 この偉大な野球選手の名は都市対抗野球大会の敢闘賞に贈られる「久慈賞」として今に伝えられている。

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