柴田保光氏死去 65歳、不整脈で…90年日本ハムで平成初のノーノー達成

[ 2022年10月11日 05:30 ]

1990年4月25日、近鉄戦でノーヒットノーランを達成した日本ハムの柴田保光氏
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 日本ハムは10日、球団OBの柴田保光(しばた・やすみつ)氏が9日午後5時30分ごろ、埼玉県内の病院で不整脈のため死去したと発表した。65歳。通夜は13日午後6時、告別式は14日午前10時30分から、いずれも東京都東村山市青葉町1の22の3、シティホール清瀬=(電)042(391)4444=で、故人の希望により家族葬で営まれる(一般の弔問は辞退)。喪主は妻晴美(はるみ)さん。

 柴田氏は1957年8月20日生まれ、長崎県出身。島原農―丹羽鉦電機―あけぼの通商を経て78年ドラフト2位で西武に入団し、83年オフに江夏豊との2対1の交換トレードで日本ハムに移籍した。85年に11勝を挙げて台頭。翌86年は14勝、90年は12勝と、血行障害の手術を乗り越えながら3度の2桁勝利を記録した。

 90年4月25日の近鉄戦(東京ドーム)でノーヒットノーラン。平成の元号で初めての達成者となった。心臓疾患のため94年に現役引退し、通算84勝97敗13セーブ、防御率3・49。95~97年に日本ハムで投手コーチを務め、99年から什器(じゅうき)レンタルの山元に勤めた。

 ▼伊原春樹氏(柴田氏の西武時代のチームメート)まさか、と思ったし本当にショックだ。昨日の夕方、柴やんの携帯から電話がかかってきて…。相手は奥さんで「亡くなった」と言われた。家が近所でずっと付き合いがあった。柴やんがゴルフを欠席したので10日ほど前に連絡をしたら、「血管の詰まりが出ているので、手術するために入院します」とのことだった。長崎の島原出身で、本当に純粋そのもののいい男。彼が西武に入団して「僕が初めて食事に誘ってもらったのが伊原さん。おいしいものを食べさせてもらった」と言っていた。残念でならない。

 ▼田淵幸一氏(西武OB、スポニチ本紙評論家)まだ若いのに…。今でも忘れない。83年、私が左手首を骨折して巨人との日本シリーズに間に合うかどうかというとき、2軍の球場でよく投げてもらった。日本ハム移籍後に腕を下げて成功するんだけど、当時は上手投げのパワーピッチャーでね。本番に間に合って江川からホームランを打てたのは、彼に速い球を投げてもらったおかげだと思っている。

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