プロ野球前コミッショナー・熊崎勝彦さん死去 80歳 特捜部で政界捜査に実績、球界の危機対応

[ 2022年5月28日 05:30 ]

 東京地検特捜部でリクルート事件などの捜査を担当し、プロ野球の第13代コミッショナーも務めた熊崎勝彦(くまざき・かつひこ)氏が13日、東京都内の病院で心不全のため死去した。80歳。岐阜県出身。自身の法律事務所が27日、明らかにした。葬儀・告別式は20日に家族で執り行った。喪主は長男章記(あきのり)氏。政界捜査で実績を上げ、球界では統一球問題や野球賭博問題への対応で手腕を発揮した。

 熊崎氏は、特捜部に通算12年在籍。リクルート事件などに携わった後、副部長時代の1993年には、政界中枢に君臨していた故金丸信・元自民党副総裁の巨額脱税事件で取り調べを担当。無記名購入が可能で所得隠しの温床と指摘されていた「割引債」の無申告を突き止め、「ワリシンをお持ちですね」と切り出し、自供に追い込んだ。東京・元麻布の金丸邸からは大量の金の延べ棒を押収。「落としの熊崎」と呼ばれた。

 この事件を端緒としたゼネコン汚職事件では捜査を指揮。建設業界に横行していたヤミ献金にメスを入れ、仙台市長を皮切りに茨城県知事、スーパーゼネコン役員、さらに国会議員も逮捕。政界捜査で実績を上げた。

 特捜部長としては98年に接待汚職事件を手がけた。財政のほか金融行政も担っていた当時の大蔵省のエリート官僚が銀行や証券会社から「ノーパンしゃぶしゃぶ」などの過剰接待を受けていた贈収賄の実態を暴き、金融監督庁(現金融庁)発足の契機となった。熊崎氏は「永田町が最も恐れる男」「汚職捜査のプロ」と呼ばれ、特捜部は「最強の捜査機関」と言われた。

 その後は最高検公安部長などを歴任。04年の退官後は弁護士として活動する一方で、関西テレビの「あるある大事典」捏造(ねつぞう)問題では社外調査委員会委員長。また、時代劇ドラマへの出演経験も持つ。

 コミッショナー顧問を務めていた13年に日本野球機構(NPB)による統一球の無断変更が発覚。前任の加藤良三コミッショナーが引責辞任し、労使対立など球界の混乱の中、14年1月に第13代コミッショナーに就任した。

 コミッショナー顧問時代から暴力団排除を推進。選手にも「品行方正」を求めた。15年10月に巨人の現役選手の野球賭博が判明すると、後輩の特捜部OBらによる調査委員会に全容解明に当たらせ、検察のような強制捜査ができない中、携帯電話のデータを解析するなど粘り強く調査を進め、当該選手に厳しい処分を科した。

 日本プロ野球選手会、12球団オーナーとも信頼関係を築き、16年6月には米ニューヨークで大リーグのロブ・マンフレッド・コミッショナーと会談。野球の東京五輪追加種目入りに向けて大リーグの協力を引き出したのは、熊崎氏の人柄が大きかったという。

 ◇熊崎 勝彦(くまざき・かつひこ)1942年(昭17)1月24日生まれ、岐阜県出身。明大卒。東京地検特捜部長、最高検察庁公安部長などを歴任。05年からプロ野球のコミッショナー顧問を務め、14年1月にコミッショナーに就任。東京五輪では野球の五輪種目復活にも尽力した。17年11月に退任。19年に世界野球ソフトボール連盟(WBSC)から栄誉勲章が授与される。

 ▼斉藤惇コミッショナー 選手の野球賭博関与など幾多の事案について、法曹界でのご経験を存分に発揮して解決にあたっていただきました。また日本野球協議会の設立などプロとアマ一体となった野球界の発展も常に考えておられました。

 ▼ソフトバンク・王貞治球団会長 コミッショナー顧問として見事に仲介の労を執っていただき、コミッショナーとしても大変素晴らしい功績を残されました。前回お会いした時はまだまだお元気でゴルフの話もしましたが、突然のことで驚いています。

 ▼日本野球機構・井原敦事務局長 (統一球問題で)プロ野球全体の危機に火中の栗を拾うためコミッショナーに就任し、陣頭指揮を執っていただいた。仕事に対しては一つ一つ事実を積み上げて確認していく非常に緻密で繊細な方でした。

 ▼巨人・原辰徳監督 大変、なんというか熱血漢。印象に残る人柄だったなと自分では思っていますね。
 

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