「一塁で止めていたら…」明徳義塾・米崎 痛恨悪送球は夏“雪辱”への糧に

[ 2021年3月20日 05:30 ]

第93回選抜高校野球大会第1日第2試合 1回戦   明徳義塾0ー1仙台育英 ( 2021年3月19日    甲子園 )

<仙台育英・明徳義塾>8回2死、空振り三振に倒れる米崎(撮影・成瀬 徹)
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 【お帰り!春球児】普段にはない、少しの焦りが勝敗の分岐点となった。1年時から正遊撃の明徳義塾・米崎は「点が入ったときの、僕の送球ミスだと思います」と明確な口調で自身のプレーが敗因に直結したことを認めた。

 2回1死、三遊間の深い位置への打球を好捕したまでは良かった。次の瞬間、間に合う可能性の低い一塁へジャンピングスローした送球は大きくそれ一塁ベンチ方向まで転がり打者走者の二進を許した(記録は内野安打と失策)。「仙台育英は足が速い情報があった」。塁に出したくない思いが裏目に出て、次打者の中前打で決勝のホームを踏まれた。

 「一塁で止めていたら、結果が変わっていた」

 19年夏の甲子園。2回戦・智弁和歌山戦の7回1死一、三塁で併殺コースの打球がイレギュラーし同点適時打に。このプレーを機に逆転負けした。失策ではないが忘れることなく実力を磨いてきた。88年ドラフト1位で近鉄に入団し阪神でもプレーした父・薫臣(くんじ)さんと同じ強肩巧打の遊撃手に成長した。「同じ過ち」は許されない。聖地で得た教訓を生かし、夏に戻って来る。(桜井 克也)

 ◆米崎 薫暉(よねざき・くんが)2004年(平16)3月23日生まれ、大阪府豊中市出身の16歳。小1から新芦屋ドラゴンズで野球を始め、投手と捕手。中学では茨木ナニワボーイズに所属。明徳義塾では1年春からベンチ入りし、背番号18で同年夏の甲子園出場。昨夏の交流試合も経験。1メートル72、70キロ。右投げ右打ち。

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