ラソーダさん メジャー、野球の国際化に貢献 米国外出身の選手を数多く起用

[ 2021年1月10日 05:30 ]

トミー・ラソーダ氏死去

トミー・ラソーダ氏
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 イタリア系移民の息子だったラソーダさんの影響力は、ドジャースにとどまらなかった。野茂ら米国外出身の選手を数多く受け入れて、大リーグや野球の国際化に貢献した。

 野茂がメジャーデビューする15年前の80年、19歳のメキシコ出身左腕フェルナンド・バレンズエラ投手を抜てきした。翌年の大活躍は「フェルナンド・マニア」と呼ばれる熱狂的な社会現象まで起こした。94年にはメジャー初の韓国選手、朴賛浩(パクチャンホ)投手をデビューさせた。その年は0勝に終わったが、後に通算124勝を挙げるパイオニアとしての第一歩だった。ほかにも各国の選手を歓迎し、大リーグ機構のロブ・マンフレッド・コミッショナーは「野球をより強固な、多様性のある、良い競技にした」と悼んだ。

 ド軍の監督を勇退した後にも五輪で米国代表を率いたほか、06年の第1回大会から2大会連続でワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の親善大使に就任して大会のPRなどに奔走した。

 ▼元ドジャースマイク・ピアザさん(ドラフト62巡目指名の低評価を覆し、ラソーダさんの下で名捕手に成長)誰もが疑う中、トミーは僕を信じてくれた。

 ▼元ドジャースオーレル・ハーシュハイザーさん(ワールドシリーズを制した88年のエース)毎日が生きるか死ぬかだった。ラソーダさんの人生で大切でない日はなかった。

 ▼大リーグ機構ロブ・マンフレッド・コミッショナー 情熱、成功、カリスマ性、笑いのセンスで世界中で有名になり、その名声を生かして野球を発展させてくれた。

 ▼ドジャースマーク・ウォルター・オーナー 彼は選手とコーチのメンター(師)だった。サインなどを通じて多くのファンと時間を共有した。良い友人だった。心からお悔やみを申し上げる。

 ▼ドジャーススタン・カステン球団社長兼CEO トミー・ラソーダさんほどド軍の精神を体現した人はいない。

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