【内田雅也の追球】コブサラダとタイ・カッブ 「1人練習」の重要性

[ 2021年1月10日 08:00 ]

タイ・カッブ(AP)
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 タコスを初めて耳にしたとき「たこ酢」だと思っていた。口にした食べ物は酸っぱくもなく、どこにもたこは入っていない。メキシコ料理だった。以来、自分のなかで、相手に聞き間違いがないようにと「たこ酢」は「酢だこ」と言うように努めている。

 先日は「コブ・サラダ」というものを初めて食べた。妻が神戸の人気レストラン「マザームーンカフェ」で食べ「おいしかった」と自分で調理し、わが家の食卓に出したのだった。

 てっきり「昆布(こぶ)サラダ」と思っていた。ところが、アボカド、レタス、トマト、鶏肉、ベーコン、ゆで卵……と昆布はどこにも見当たらなかった。アメリカ料理らしい。

 ネットで検索すると、いわれが書いてある。1937年、ハリウッドのレストラン「ブラウン・ダービー」のオーナー、ロバート・H・コブにより考案された、とある。コブは人名だった。

 で、そのつづりを見ると「Cobb」だった。何とあのタイ・カッブ(Ty Cobb)と同じつづりだったのだ。大リーグ通算24年、終身打率は大リーグ史上最高の3割6分7厘。9年連続を含め首位打者12度……。1900―20年代を代表する大スターである。

 もちろん、同じ英語でも日本語表記が異なる言葉などいくらもある。バレーボールの「バレー」とテニスの「ボレー」も同じ「volley」だ。元は「一斉射撃」、次いで「ボールが地面につかないうちに打ち返す」といった意味になった。

 タイ・カッブも昔はタイ・カップと表記していた。グリップエンドが円すい状に太いバットはタイ・カップ型と呼んでいたし、手もとにある著書は『タイ・カップ自伝』(ベースボール・マガジン社)である。

 自伝は<お決まりの少年時代は後回しにして、ルーキー時代から筆を起こそうと思う>と冒頭は「初出場」と1905年、デトロイト・タイガースでの大リーグデビュー当時の思い出に章を割いている。<当時の経験ほど、みじめで屈辱的なものはなく>と先輩たちに受けた嫌がらせやいじめを告白している。だが負けなかった。

 食事も散歩も部屋でも1人きり。チームに話し相手はいないが<のけ者にされたおかげで「考える」時間を得たのである>。1人で苦手な左投手攻略の方法を考えたり、新しいスライディング方法を編み出し、試合で結果を出していった。

 福留孝介の姿勢を思い出す。阪神から戦力構想外となり、退団が発表となった昨年11月6日、鳴尾浜球場で最後の練習を行った際、2軍若手選手を前にあいさつを行った。この時、強調したのが「自分で限界をつくるな」と「1人で練習する時間をつくれ」だった。

 野球選手には、こうした1人の時間も大切なのだろう。オフシーズンは特に、孤独と思索を大切にしたい。

 コブ――いやカッブの教訓として心に留め置きたい。=敬称略=(編集委員)

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2021年1月10日のニュース