【藤川球児物語(43)】1341日ぶりセーブ 「汚すことはできない」背番号「22」への復帰

[ 2020年12月26日 10:00 ]

16年7月26日、日米通算1000奪三振を達成し花束を掲げる藤川
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 16年の前半戦、監督・金本知憲は投手陣のやりくりに頭を痛めていた。退団した呉昇桓(オスンファン)の後釜に期待された新加入のマテオ、ドリスは安定しなかった。開幕から先発陣に入った藤川球児もDeNA戦勝利の後は4月10日の広島戦(甲子園)で4回途中7失点KO。首脳陣は同14日に再調整のため、登録抹消を決めた。

 阪神ファンが何を期待して、甲子園に足を運ぶのか。それが証明されたのは5月18日の中日戦だった。9回を迎えて3―2。リードは1点。だが、この日のブルペンにマテオもドリスも姿はなかった。この時、LINDBERGの名曲が流れた。藤川の登場。球場の空気が熱くなったことを、リリーフカーからも感じていた。最速148キロで3者凡退。1341日ぶりのセーブを挙げた。輝きは別格だった。

 「声援は聞こえたし、後押しもあった。マウンドではゲームに集中した。どこをやっても勝つだけ。それしかない」

 ファンに喜んでもらってこそのプロ。「やり続ける限りは成長しなければ」とここから中継ぎ、抑えとフル回転した。7月26日のヤクルト戦(甲子園)では日米通算1000奪三振をマーク。8月28日のヤクルト戦(甲子園)では600試合登板を達成。それでも記録より勝利。数字へのこだわりより、勝つために投げ続けるスタイルは変わらなかった。

 16年、チームは4位に終わったが、藤川は43試合に登板し、投球回数も10年の水準に戻した。11月19日のファン感謝デーで、背番号22への復帰も発表された。「ファンそして相手チームが持っている22番のピッチャー像を、もっと高めないと。汚すことはできない」とリリーフ専任で勝負することを改めて誓った。

 プライドや過去の実績へのこだわりも消えていた。「金本監督にとって使いやすい選手でいい」と17年はマテオ、ドリス、さらに桑原謙太朗で構成する勝ちパターンを支える立場に徹した。「ホールドとかもないところでやることも凄いこと」とビハインドでの登板も前向きにとらえた。0セーブでも52試合登板で2位に貢献。これができるのも藤川だ。 =敬称略=

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2020年12月26日のニュース