横浜高08年主将・小川健太氏 「ひとり親」家庭に野球用具支援 「同じ環境の子どもたちの役に」

[ 2020年12月26日 11:00 ]

インタビューに答える一般社団法人日本未来スポーツ振興協会の小川代表
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 高校野球の名門・横浜の元主将・小川健太氏(30)が今年6月、一般社団法人日本未来スポーツ振興協会を立ち上げた。野球用具の提供を通じて「ひとり親」の家庭を支援する取り組みの根底にあるものは何か。元愛工大名電主将で、小川氏と明大野球部で同期だったスポーツニッポン新聞社の齋木駿メディア編集部員(30)が聞いた。

 齋木編集部員(以下、齋木) 日本未来スポーツ振興協会を立ち上げたきっかけは?

 小川代表(以下、小川) 体力があるうちに何かひとつでも日本が直面する社会問題の改善に取り組みたかった。自分自身もひとり親の家庭で育った。野球をやっていたからここまで来られたという思いは強い。同じ環境の子どもたちの役に立てれば、と行動に踏み切った。

 齋木 そういう家庭に野球用具を無償提供することが協会の中心事業?

 小川 多くの企業に支援をいただいて、ひとり親の家庭を中心にグローブとバットの提供を行っている。

 齋木 反響は?

 小川 初めて手にする野球用具に目を輝かせる子どもたちを見ると「この活動を始めて良かった」と思う。

 齋木 埼玉西武ライオンズ球団が活動に協賛している。

 小川 今年6月に協会を立ち上げると、すぐにライオンズさんから連絡をいただいた。平井投手(克典=西武)が協力を申し出て下さり、1登板につき、グラブ1点を協会に寄付して貰えることになった。今季は41試合登板なので41点。本当に有り難い。

 齋木 野球の競技人口拡大の目的もある。

 小川 スポーツ全体で取り組みたいけど、自分は野球に育ててもらったので、やっぱりそこから始めたい。

 齋木 今、野球をする子が減っているけど、どう見ている?

 小川 それは深刻。10年前からの減少推移を見ると、出生率も下がってはいるとはいえ、毎月500人ずつ減り続けている。年間では6000人。だから用具の支援も年間6000個が目標で、将来的には競技人口の減少を0まで戻したい。

 齋木 スポーツをする子自体が減った?

 小川 そうとも言い切れない。例えば今、全国で剣道人口が増えている。何故と思う。

 齋木 あれだ。「鬼滅の刃」の人気で。

 小川 そう。今はまだ剣道用具の提供までは出来ないのは残念だけど。漫画でもアニメでもいいし、何かをきっかけにスポーツを始めて欲しい。

 齋木 スポーツは子どもの成長に役立つ。

 小川 健康もそうだけど、学校とは別のコミュニティーとしてスポーツがあった方がいいと思う。それは自分の体験から。僕は小学生の頃、いじめられていた。

 齋木 意外だね。名門高校で筒香(嘉智=レイズ)らを主将としてまとめていた姿からは想像出来ない。

 小川 いじめを受けた理由ははっきりしないけど、4年から6年生まで3年間近く続いた。無視されたり、机をどこかに隠されたり。いじめで学校に居場所がなくなったのは本当につらかった。学校に通う途中も、いつも逃げ出したかった。そんなとき、野球という逃げ場を見付けた。野球が本当に安心出来る場所になった。だから今の子どもたちにも野球でも他のスポーツでもいいからコミュニティーを与えて、逃げ場を作ってあげたい。

 齋木 学校とは離れた関係性がいい。

 小川 指導者も地域の保護者とか、学校とは別の人がかかわるのがいい。そういう場所を与えてあげて、いじめられている子には「いっぱい逃げなさい」と伝えてあげたい。

 齋木 いっぱい逃げなさいって、実際にいじめられている子にとっては安心出来る言葉と思う。野球に夢中になった理由は分かる。小川は横浜育ちだから、やっぱり横浜高校で野球をやることは目標だった?

 小川 いや、実は横浜に入りたくなかった。怖かったからね。だって2学年上の下水流さん(昂=楽天)、福田さん(永将=中日)というすごい野手を見ていたら、自分が横浜で試合に出られると思えなかった。不安しかなかった。

 齋木 入学を決めたのは?

 小川 母の言葉。「神奈川で一番の高校で甲子園に出るのが見たい」と言われて、誰かに背中を押されなければ決断出来なかった。

 齋木 お母さんは強い。

 小川 ひとり親って強いよ。仕事も子育ても、やっぱり凄く頑張ってるから。でも野球を知らなければチームを選んだり、用具を揃えたり、本当に大変なことばかり。だから、こちらでチームに練習内容や入団方法など詳細を確認して、親御さんとのパイプ役も務めている。親のサポートには限界があると思うから支援したいんだ。(第2回に続く)

 ◆小川 健太(おがわ・けんた)神奈川県横浜市出身。中本牧シニアで全国優勝。横浜高では1年秋から右翼でレギュラーとなり、2年秋の神宮大会で主将として準優勝。3年夏の甲子園では浅村を擁する大阪桐蔭に敗れるも4強。明大を経て、九州三菱自動車では都市対抗野球、日本選手権に出場。強肩強打の外野手としてプロ球団も注目していた。現在は一般社団法人日本未来スポーツ振興協会代表。

 ◆齋木 駿(さいき・しゅん)三重県四日市市出身。ボーイズリーグの四日市トップエースで全国大会出場。愛工大名電2年時に夏の甲子園出場。同年、小川泰弘(ヤクルト)、福谷浩司(中日)、中川大志(元楽天など)らと愛知選抜入りし主将を務めた。明大を経て、スポーツニッポン新聞社入社。整理部を経て、現在はデジタル編集部。

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