【阪神新人連載】高寺 兄の背中追い大きく成長 同じ「夢」背負った兄の分もプロで羽ばたく

[ 2020年12月26日 11:00 ]

牙を研ぐルーキー2020 7位・高寺望夢内野手(下)

兄の歩望さん(左)と記念撮影する高寺望夢(提供写真)
Photo By 提供写真

 母・智江さんが「小さい頃から何でも対等にやりたがる子だった」と振り返るように3歳上の兄・歩夢さん(21)とともに野球人生を歩んできた。3兄弟の次男。幼稚園年長の頃、野球チームに所属していた兄の送迎として母に付いていった。待っている間は砂遊びもせず、試合に見入っていた。

 ある時、チームの指導者から「やってみるか?」と誘われた。やってみたら、楽しくて仕方なかった。小学1年で同じ上田リトルへ入り、遊撃手と投手をやった。中学でも兄と入れ替わるように上田シニアに入った。

 高校も背中を追うように上田西を選んだ。入学までの期間は自宅近くのグラウンドで週4日程度、一緒にキャッチボールやティー打撃などに励んだ。外野手だった歩夢さんは3年夏の長野大会を準々決勝で敗退していた。「すぐに試合に出てほしかったから」と練習方法などすべてを伝え、準備させた。

 「甲子園に行くことができなかった。弟には自分の分まで行ってほしいと思った」

 願いは通じた。走攻守そろった力を認められ、1年春からベンチ入りし、すぐに三塁のレギュラーに定着。1年夏は県大会決勝まで進んだ。2年秋から遊撃を任され、副主将にも就任。吉崎琢朗監督から「言葉を発するタイプではないが、プレーで黙々とやる姿で後輩にしっかりと伝えられるようになった」と信頼を寄せられるまで大きく成長した。

 2年夏、3年夏も準決勝で敗退。コロナ禍もあって甲子園には届かなかった。会社員になった歩夢さんは可能な限り試合に駆けつけ、撮影した動画を送るなど最後まで支え続けてくれた。

 ドラフト会議が開かれた10月26日。歩夢さんは母と近所の真田神社を参拝してから自宅で指名の瞬間を見届け、「もらったチャンスを逃さず結果を出して、早く1軍でプレーしてるところを見たい」と再び夢を託した。

 歩夢、望夢、育夢(はぐむ)の3兄弟。夢に向かって突き進んでいってほしい――という願いから名前には「夢」の一字が入る。家族の夢も背負って、新しい世界に挑む。 (須田 麻祐子)

 ◆高寺 望夢(たかてら・のぞむ)2002年(平14)10月17日生まれ、長野県上田市出身の18歳。小1から上田リトルで野球を始め、中学では上田シニアに所属。上田西では1年春からベンチ入り。2年夏、3年夏と長野県大会4強で、甲子園出場なし。高校通算31本塁打。50メートル走6秒0、遠投110メートル。1メートル78、75キロ。右投げ左打ち。

続きを表示

この記事のフォト

2020年12月26日のニュース